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プロフィール代わりの戦国逸話を好きになったきっかけと育った土地の話

こんにちは、両兵衛です。

書いた記事をプロフィール用にできるということを知ったので、私、丘田両兵衛が戦国逸話好きになったきっかけと育った土地について書いてみます。

好きのきっかけ

小学校で日本史の授業がはじまるのは6年生くらいだったでしょうか。私は、よく教科書から脱線して偉人の逸話を話してくれる先生に教わりました。高校の先生は芸能界や漫画(先生の愛読書は毎週のジャンプだそうで)の話を歴史上の事件と結び付けて面白おかしく話してくれるので、生徒みんが煽ってなかなか教科書が進みませんでした。

歴史の教科書に載っている偉人の肖像画や写真に落書きをしたことないでしょうか。髭を書いたり垂れ目にしたり怒りマークを書いたてみたり。私はキン肉マン全盛のころ子供だったので額に「肉」か「中」は必ず書いていました。だんだんと澄ました顔から表情が生まれるんですね。先生から聞いた逸話が、まるで落書きした肖像画のように人物の表情を感じさせてくれたことから歴史に興味をもつようになりました。

中でも戦国武将、三英傑と言われる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康からはじまり、その家臣やライバル武将の勇ましさや賢さの逸話に興味を持つようになっていきます。

育った土地

三英傑の出身が今の愛知県ということで、同県出身の私としては地元の英雄という愛着もあったと思います。徐々にわかってきたのが、どうやらこの土地にまつわるのは三英傑だけでなさそうだということでした。

私が高校卒業まで過ごしたのは一色町(現在は市町村合併で西尾市一色町)という三河湾に面した小さな田舎町です。教科書にも出てきた記憶があるのですが、室町幕府の武家の家格を表すときに三管領四職という言い方をします。このうちの侍所の長官を交代で務めた四つの家のうちの一つである一色氏発祥の地がこのまちでした。

一色氏

隣町が吉良町(ここも今は西尾市吉良町)といいます。年末になると昔は必ずテレビで放送されていた忠臣蔵という物語があります。赤穂浪士の討ち入りの物語ですが、敵役の意地悪な年寄りとして登場するのが吉良を地元とする吉良上野介です。とても嫌な奴に描かれていますが、地元の吉良では洪水対策で堤防を造るなど名君として慕われています。そういえば、吉良氏の菩提寺で上野介のお墓や木像がある華蔵寺は、小学校のころ遠足の目的地でした。

このほかにも西尾市内には今川氏発祥の地があり、お隣岡崎市には三管領の一つ細川氏発祥の地があります。今川氏というと桶狭間の戦いで信長に討たれてしまった今川義元が知られていますね。

もともと三河国は足利氏の領地だったので、足利氏が土着して土地の名を名字としたことから、一色も吉良も今川も細川も始まっていることを知りました。「御所(将軍)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」と俗に言ったそうですが、吉良、今川は一門の中でも格が高かったようです。

こんなにも自分の育った土地は中世日本史、武士に関係するところだったのか!と、ますますはまっていくことになります。

先に書いたように、武将の勇ましさや賢さといった逸話から始まったのですが、大人になるにつれて興味の対象が変わっていきます。主君と家臣、同僚、ライバル、家族といった人間関係はもちろん、生き方や考え方、覚悟、矜持に悩む姿です。時が移って世の中は変わっても、人の悩みは変わらないのではないか。現代に通じるおもしろかなしい武将たちの逸話を取り上げていきます。

私の名前の由来について

プロフィールという意味では、別記事で私の名前の由来について書いています。→こちら

私にとって逸話とは

私の考えで逸話とはについて、別記事で書いています。→こちら

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