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昭和には存在しなかったボキャブラリー

noteでも再び宣伝させてもらいますが、今年ワタクシ、初めて本を出版しました。

東京から福島に引っ越して以来、9年間綴ってきたブログを編集して自費出版したもので、まあ友人知人以外には大して売れてないと思うが、私にとっては今年の一大イベントだった。

この本、親をネタにしてる部分も結構ある。だからというわけでもないが、6月中旬に刷り上がった後、まず献本したのは川崎の実家に住む母だった。残念ながら父は3年前に他界しているが、もともと読書家じゃなかったから存命だったとしてもほとんど読まなかったろうと思う。でも母は若いころから文章を読むのも書くのも好きなほうなので、渡すと喜び、すぐにページを開いてくれた。

渡した後しばらくして、母から「シェアってどういう意味?」「サステナブルって何?」という電話やメールが来るようになった。ひと月後に再び帰省すると、母のノートには手書きのカタカナ語リストが。

カミングアウト、テクノロジー、イノベーション、マジョリティ、デフォルト、オーセンティック、リマインド、アニバーサリー、リソース、ロジック、アテンド、ノマド、リスペクト、マインドフルネス、アナロジー、エントロピー、ダイアローグ、アーカイブ・・・

これらが日本語でどういう意味か、教えてくれという。

うーむ。私は本の中で何の気なしにこういうカタカナ語を使っていたが、昭和12年(1937年)生まれの母のボキャブラリーには存在しない言葉だったのか。あらためて日本語で何?と問われると、一言で置き換えるのが難しいものが多い(だからこそカタカナ日本語になったわけだ)が、必ずしもそうとは限らない。アニバーサリーは「記念日」でいいし、マジョリティは「多数派」でよかったんじゃないか、と遅まきながら思った次第。

あ、ボキャブラリーも「語彙」でよかったんじゃないか(笑)

思い返せば、昭和の頃から「日本語は乱れている、外来語の濫用はよくない」といった議論はあったと記憶する。でも平成・令和を通じて外来語は減るどころか増える一方だ。私個人的には、最近流行の「パーパス」というのがどうも気持ち悪い。企業理念や存在意義じゃだめなの?とも思うが、「本格的」と書けばいいところをオーセンティックとか書いてしまう私に、他人のことは言えない。

時代とともに言葉は変わる。あと二十数年、私が母の歳になるころ、果たしてまだ日本語を理解できるだろうか……

ようやくちょっと秋らしい空

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