見出し画像

紙の本は昭和ですかね

還暦近くまで生きてきて初めて本というものを出版した。

「五十路で地方移住してみた 九年間のふくしま暮らし日記」

東京から福島に引っ越して9年間、綴ってきたブログを編集し、多少の書き下ろしも加えて刊行した。東京図書出版という出版社に原稿を送り、審査してもらって「共同出版」ということになったのであるが、本の制作実費は著者が支払うので事実上はいわゆる「自費出版」である。もちろん流通販促はしてもらえるし、いちおう印税ももらえるが、それで元が取れるなどということはあり得ない。万が一重版出来になって、仮に2万部売れるという奇跡が起きたとしてやっとトントンの話である。初版はそれより2桁少ない。一介の無名ライターのエッセイ本など、知人友人によしみで買ってもらう分も含めて(まるで昔の生命保険のようではないか笑)200部も売れれば御の字、という世界らしい。

なので、自費出版というのはあくまでも自己満足のためであり、お金のかかる趣味みたいなものだ。いやいや、最近はもっと手軽に格安でオンライン電子出版できますよ、という宣伝もたくさん見かけるが、昭和生まれの私としてはやっぱり紙の本にしたかった。そして何より、プロの校正者に校正してもらいたかった。

実は東京図書の他にも数社、相談をしたのだが、どちらも「よく書けてます、校正は必要ないでしょう」という返事と共に印刷・流通費だけの見積もりが送られてきた。そんなわけはない、という自分の感覚を信じて、校正を2回入れるという東京図書に依頼することにした。結果として自分の判断は正しかった。

プロの校正の凄さは入れられた人にしかわからない。校正というと、ただ誤字脱字や「てにをは」の間違いを見つけて直すだけの作業と勘違いしている人が多いが、校正というのはそれよりはるかに範囲の広い職人技である。その辺の詳細は、ぜひ大西寿男氏の「校正のこころ」を読んでほしい。

この校正というのは、なにも本を出版するときだけに必要とされるものではない。私は30年近く前に都内の翻訳・制作会社に勤めていて、毎日山のようにビジネス系文書の翻訳案件をこなした(翻訳者の手配、上がったものの突き合わせチェック・編集・校正)が、そのときの社長(オーストラリア人)が常々「校正はicing on the cake」だと言っていたのを思い出す。アイシングは決して主役じゃないが、アイシングがなければケーキは完成しない、売れないのである。

いまオウンドメディアと称していろんな企業がネット上に「記事」を量産しているが、それらについても本来は同じことが言える。ただ、SEO対策記事を1文字3円などで制作している会社は、校正なんて手間ヒマかけていられないのが実際だろう。だからネット上の情報は玉石混交と言われるのであり、読むほうもそういうつもりで読むのがオンライン記事である。

だからこそ私は手間ヒマかけた紙の本を出したかったのだ。たとえ昭和の価値観と言われようとも。

今日の空は川崎の実家の窓から。いま自宅のある福島の空とは、やっぱりなんとなく違う気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?