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自己紹介

「自己紹介、した方がいいのかな?」
と思って何も考えずに書き始めました。

名前は「とあ」です。
「とあ」はアノニマスネーム(自助グループ用の名前)です。
ペンネームみたいなものです。(違うか…)
年齢と性別はアラサー男子です。

私がACであることや生きづらさと向き合うようになったきっかけは、約3年前に仕事を秒速でやめてしまったことでした。やめてしまった時は自己否定のループのなかにどっぷりハマってしまい絶望の淵に落ちました。

秒速でやめてしまった原因は主に2つ。
「他人との境界線がないこと」と「完璧主義」でした。

「他人との境界線がないこと」について、周りに機嫌の悪い人がいると「この人の機嫌が悪いのは、きっと私のせいなんだ。この人の機嫌を取らなきゃ」と思ってしまうところがあります。だから、職場にいるだけでものすごく疲れました。心のエネルギーの貯蔵庫にヒビが入って、エネルギーが勝手に漏れ出していくような感じ。

これはきっと小さい頃の両親との関係に由来しています。
母は看護師で、私のイメージでは常に「疲れていた」印象があります。病棟で働き、夜勤や準夜勤がありました。私が学校から帰ってきても、母は寝ているか、とても眠そうにしていました。「おかえり〜」と声をかけてくれる時もありました。でも、なんかとても眠そう。母としては、会ったり、一緒にご飯を食べたりできない中、眠くても起きて声をかけてくれたんだと思います。でもそんな母が大変そうで、余裕がなさそうで、甘えられなかったです。正直疲れている母を見るのは嫌でした。元気でいてほしい。だから
「負担をかけないようにしよう」
「自分でやらなきゃ」
と早いうちから自立しようとしていたのかもしれません。

それに、母から父の愚痴をたくさん聞かされました。これはとても嫌だった。内容は「父が私の話を聞いてくれない」という趣旨でした。「私が喘息なのに子どものことを考えずに家の中でタバコを吸っていた」
というのは何十回も聞かされました。

「どうして父は母に優しくしないの?」と思いました。だから数年前までは、父と母が喧嘩すると、母の見方をしていました。(父には申し訳なかった)

とにかく、「母に元気になってほしい」という思いが常にありました。自分が母に何かしてあげると、母は喜んでくれたし、それで「自分は他人の気分に責任を持つことができて」「他人の機嫌を自分がとらなければいけない」と思うようになったのかもしれません。

また、初めてやる仕事はうまくはいきませんでした。普通の人は「初めてやることなんだから上手くいかなくって当然。失敗して学んでいけばいい」という感覚なようですが、当時の私は「ミスをしてはいけない。何事も始めから完璧にやらなければいけない」と思っていて、少しでもできない部分があると、自分を激しく責め立ていました。意識的に自分を責めるというよりも、無意識のうちに自分を責める言葉で頭がいっぱいになっていました。新しい職に就いたばかりで、相談できる人もおらず、なおかつ他人に頼ることもとても苦手でどうしようもありませんでした。

他にも理由はありますが、このくらいにしておきます。

カウンセリングや自助グループに行って、少しずつよくなってきた感じがあり、楽しめることが増えました。絶望の淵から這い上がりつつあります。
以前は「生きづらさを減らすこと」を強烈に望んでいましたが、最近は「自分とどう関わっていくか」がテーマです。

でもよくなってきたからといって、私の中のAC的な特徴がなくなったわけではありません。
・完璧主義
・保護されたくなる
・他人を警戒して心をひらけない
・他人との境界線が薄くなる
・現実を受け入れられない
・自己否定的
などがまだ出てきます。
そんな自分と上手く付き合っていきたいと思っています。

自己紹介なのに色々と脱線しましたが、自助グループではよくあること。
ということで、よろしくお願いします。


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