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NO.14 未完成。戦争の心理学/羊たちの沈黙/護られなかった人たちへ/カリートの道/マトリックスpart1~3

*雑念日記(大学生の)
*今週の読書
ー 戦争の心理学
*今週の映画
ー 羊たちの沈黙/護られなかった人たちへ/カリートの道/マトリックス
*その他、、、
では、どうぞ ( ´ ▽ ` )ノ


雑念日記(大学生の)

♦映画とかドラマとかをいつも以上に見ていた分、文章を書く時間が取れなかった。そのため今回の日記は全体的に不完全なところが多い。致し方ない。このまま完成度を高めようと引きずってしまっては、来週以降のものに影響が及んでしまう。という事で、特にマトリックスの考察に関しては、逐一追記していこう。


♦ブラッディマンデイを間一髪見終えることができた。。

ところどころツッコミどころがあったけれど、ファルコンのカッコよいイメージが終始一貫していたことは良かった。


♦バイトにて、唐揚げの下準備をする役割を担ったのだが、かれこれ2時間位黙々と肉を適量をって片栗粉をまぶしては握って、丸めて、、というのをしていた。流石に後半になってくると両腕が痺れ始めたのだが、一度始めてしまったからにはキリの良いところまでやり切りたいという謎のモチベーションが働いた。

優しい他のアルバイトの人たちは何度も代わろうか?と言ってくれるのだけど、意地を張ってしまい変われなかった。その結果、こうやってパソコンで文字をタイピングするだけでも両腕に3キロぐらいの重りを乗せているような疲労感に困っている。。

次の日にも若干の筋肉痛は残っていた。ただ、何かを握るという動作をすることが少なかった分、辛さはあまり感じなかった。高校の時まではシャープペンシルや鉛筆などが大活躍で握る動作を数多くしていたけれど、筋肉痛になってようやっとのこと、勉強スタイルの変化を自覚した。今はPCがメインなんだよね。


♦大学の先生に質問をしてみるのだけど、返ってくる返答が質問1に対して3位の濃度があって、なかなか脳が渋滞を起こしている。ここまで真摯に答えてくれるのには感謝の気持ちで一杯なのだが、自分の情報処理能力の低さが露呈しているため、落ち込んでいる。。


♦「オリヒメ」


♦夜中の23時近くから映画を見始め、恐らく見終わるのは1時過ぎになるだろう。。

見始めて10分くらいでウトウトし始め、これは今日見るのは止めておこうということで、いつもより1時間くらい早いが床についた。

ちなみに見たものは「カリートの道」という映画。


♦やっぱり散髪屋さんの髭剃りは格別だね。うん。あと、自分には美容室のおシャンティな雰囲気よりも散髪屋のちょっと不愛想感が入り混じった不器用な雰囲気の方が落ち着く。。

ただ、かれこれ2か月くらい丹念に伸ばし続けていた襟足を切ってしまったことをかなり後悔している。オーダーをする前は、絶対に髪の毛の長さは変えないようにしよう!と決意していた。していたんだけど、、いざ散髪のおっちゃんに「ここ、もう少し切っといた方がスッキリしててええよ~~」と言われると、それもそれで悪く無いかも🤔と安易に考えを変えてしまう情けなさ。。😔

髪の毛を切る時は毎回こんな感じなんよね。これからは口でオーダーするんじゃなくて紙に書いた文字でオーダーした方が良いのかもしれん。

また、2か月くらい髪の毛が伸びていくのを気長に待とう。


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唐突な可愛い画像っ!!😳
集中力高めるには良いらしい~

クマさん可愛いな。。
沼にハマってしまったかもしれん。
zoomのプロフィール画像もクマさんにしよ。

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今週の読書

戦争の心理学

戦争、人と人との衝突、争いがなぜ起こるのか、そもそも戦争とはどういった状態なのかという定義づけから述べられた一冊。

つまるところ、戦争が無くなることは無いと思っておいた方が良く、それに備えてスイスのように日ごろから訓練を積んでおくことが大切。また、軍人の地位をもっと上げるべき、というのが本書の主張なのかなと。

後者の軍人の地位を上げるべきというのは、面白い考察だった。戦後、日本では軍人は敬われる存在ではなく、忌避されるような位置づけを強いられた。というのも、敗戦国という事で戦争は怖い、恐ろしいという恐怖が戦後教育に植え付けられたのが発端。その教育はGHQによって扇動されたんだけど。

そして、そのような教育の果て、現在の日本は父親不在の社会となり果ててしまったも同然である。

父親という権力が無くなったことにより、子供たちは雑然とした状態と化す。怒る人がいないため、好き勝手自由気ままに振るい始め、小学生・中学生によく見られる型の集団がはびこり、大人は稀有な存在と化してしまう。

とは言っても、そのような人がいる傍ら、大人としての役割を果たしている人も大勢いる。また、その大人たちも世界から見ると子供のように捉えられるかもしれない。どこからが大人で、どこからが子供なのかその境界線は依然として曖昧なままであるが、少なくともその曖昧な境界線付近にいるようでは大人とは到底言えない。

かといって大人が正しいとも限らない。


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今週の映画

♦羊たちの沈黙

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やっと見れた。。という感じ。なぜかはわからないんだけど、「羊たちの沈黙」はずっと映画の見たいリストに入っていて、期待値が結構高い状態を維持していた。見たい、見たいと思いつつ、Amazonプライムに登録されてないし、どうしたものか。。と悩んでいた。そして、ついに見ることができたのである。

見終わった感想としては、気持ち悪い後味が残っている。内容を消化しきれていないのか、映画技法を消化しきれていないのかは、よっしゃー見終わった!という達成感が全く感じられない。今も映画の世界にずっと居続けているような感覚。

映画の中で気になったのが、主人公のクラリスに向けられるたくさんの男性からの視線。エレベーターに乗る時、捜査をしているとき、暗闇で殺人鬼を捕まえようとしていた時、虫の調査に行ったとき、など多くの視線を向けられる。男性の視線というのは拳銃のメタファーでもあり、つまり男性性のメタファーでもある。その凶暴で野蛮なものを幾度となく向けられるクラリス。しかし、誰も彼女の内側を見ようとはせず、外見のみに注意を向ける。特に、このシーンなんて凶暴性の象徴的なところ。男性陣は真っ赤なシャツんに身を包んでいる。一方、彼女は地味なネイビー系の服を着ている。

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そんな中、唯一と言ってよいほど真摯にクラリスのの内面に注意を向けていたのが、獄中のレクター。そして、クラリスとレクターが話す描写はクローズアップの撮り方がかなり使われている。2人の顔をそれぞれドアップで映し出し、観客はクラリスとレクターと目を合わせることを避けられない。

そして、物語が進むにつれて当初嫌悪感を抱いていたレクターに対して私たちは親しみを抱き始め、期待をするようになる。レクターのドアップ描写によって見られるという体験と、クラリスから見たレクターという見る体験。これらが相互に絡み合うことによって、観客はレクターというキャラクターに同化をし始め、警官を殺害して逃亡した時に高揚感を覚えてしまう。


HURT, AGONY, PAIN, LOVE IT

どうやら物語序盤に出てきた看板に書かれていたこの一節が本作のメッセージっぽい。

痛みや苦しみを愛せよ

という感じの訳だけど、愛するためにはレクターがクラリスに施したように、過去のトラウマから逃げるのではなく、向き合わないといけないんだよな。。



この方のレビューはとても参考になったので、掲載しておきます。

心に抱えたトラウマを描いただけでなく、男女のジェンダーについても描かれていた作品なのか。なるほど、そう捉えることもできる。終盤、クラリスが殺人鬼に発砲した後、部屋が明るくなったんだがその時にアメリカ合衆国の国旗が映りこんだのが妙に脳裏に焼き付いていた。

アメリカ国旗は男性性を強く表すため、あのシーンにおいては、体はもともと男性だけどゲイであった殺人鬼のジェンダーに関する問題をFBIという組織が無きものにし、従来の男性優位主義の社会を維持する方向へと向かったという事を暗示しているのではないだろうか?


♦護られなかった人たちへ

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なぜ「守」ではなく、「護」の文字を使っていたのか、この点について非常に疑問に思った状態で本作を観た。そして、記憶の限りでは初めて一人で、朝一番に映画館で鑑賞した映画となった。


生活保護と震災というどちらも重いテーマを扱った本作。全体を通してラ・ラ・ランドのような華やかで明るい雰囲気は登場しなかった。

確かに、生活保護受給者と役員との一対一の関係性においては職員の対応は良くなかったかもしれない。が、そのさらに後ろの関係性まで考えてみると、職員にもそうせざるを得ない状況があることが十二分に考えられる。


火葬が行われるシーンで炎が燃える描写があり、そのカットとクロスするように映り込む主人公の顔。この表象はおぉーと唸った。



ショッピングモールの多面性、昼と夜の2面性。進化心理学のフォースを感じる


カリートの道

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主人公カリートが謎の男性に銃で撃たれるシーンからスタートする本作。物語は死んでいく主人公の走馬灯として描かれる。最終的に死んでしまうという結末が分かっているうえで、ストーリーを追っていかなければいけない。

Escape to Paradise (パラダイスに逃げたい!!)というカリートの純粋な夢を叶えたい願望とそれを叶えるために我慢しなければいけない、関わらなければいけない人たちとの間の葛藤。そんな心中でもがき苦しむ中、30年の刑期をくらったため自ら別れを告げた元恋人との出会い。

目標がいっそのこと色づき始めた、その絶頂期ともあろう所で、自らが恩を借りている悪徳弁護士に誘われ手を染めてしまうことに。収監前のヤクザとしての一面が普通に暮らしたいという一面の足をことごとく引っ張る。

また、驚いたんだけど本作の監督であるデ・パルマは後の「ミッションインポッシブル」の監督でもあるらしい。最後の銃撃戦に至るまでの緊迫感は目が釘付けになったんだけど、それ以外にも玄関のドア越しに愛を確かめ合おうとする男女のシーンや、序盤に出てくる銃撃戦で繰り広げられるクロスカットの技法、エレベーターを待っているときのハラハラドキドキ感、現実世界とパラダイス世界(クラブ)を行き来する色味の使い方、色々な表現技法がてんこ盛り。

カフェで元恋人ゲイルと再会して談話をするシーンは、ゲイルの服が華やかなグリーン、カリートの服や周囲の色はダークカラーでほぼ統一されていたから、より一層ゲイルの華やかさが強調されてて、観客はゲイルの人間性は全く分からないのにも関わらず、なぜか心を惹かれてしまうものだった。

1回目の鑑賞はストーリーを追うだけで精いっぱいだったため、ぜひ2回目は演出に注目しながら鑑賞したいと思う。


色々な映画評を見ていたんだけど、印象に残ったのが

大抵のマフィア映画や暴力を描いた映画は、男女の絆・愛よりも男性同士のホモソーシャルな絆が中心に描かれている。が本作の主人公カリートは親友だと思っていた旧友にも裏切られ、助けてもらった弁護士までにも裏切られ、自らの護衛としてつけていた使いにも裏切られ、クラブの経営者?的な人にもお金を取られ、、と男性同士の関係性においては散々なものだった😅 唯一、愛を見出すことができたのは元恋人のゲイルのみ。これはヤクザ、マフィア系の映画としては珍しいかも。

というものでした。なるほど、確かに本作においては女性であるゲイルがカリートの心の支えとなっており、所々男らしさを見せるもののカリートの男性性は失われたものとして描かれている。拳銃を相棒として男性性を取り戻しつつも、やはり男性同士の絆に比べて男女の愛は脆く儚いモノだなぁと感じた。


♦マトリックス/
  マトリックス リローデッド/
  マトリックス レボリューションズ/

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ほぼ一日で3部作を一気見。前評判のおかげで見る前から期待値が高かった本作。これは色々と考えさせられる映画だと思った。SF映画のようでいて、100年後の世界を本当に予言しているかのような不気味さが存在。

一日で3部全てを見たからなのか、内容に頭の理解が正直追い付いていない状況。世界観も頭をひねって考えないと理解できないから尚更。

この方の考察、めっちゃ面白い。

というか、マトリックス自体がかなり示唆に富んだテーマを扱ってるからか、調べてみるとめちゃめちゃ深い、自分一人だと考えもつかないような考察が色々出てきて、それを眺めるだけでも楽しい。

大きくまとめると、最初にマトリックスという人類を夢の世界に閉じ込めさせる(ナルトの無限月読に似てる)仮想現実空間をAIの父的な存在が作った。それによって、人の肉体は機械に栽培されるかの如くドラゴンボールのカプセル的なものに入って一生を過ごす。心、精神世界は夢のような感じでAIがプログラムによって作った仮想現実で生きることになる。そのマトリックスの中で生きているかのように感じている人たちはその世界が現実だと思い込んでおり、まさかAIによって支配されているとは知る由もない。


人間は幸福のみで生活するのは嫌で、不安や不幸などのスパイスがあった方が、良いらしい。
空を壊したのは人間。

なるほど。

母体を破壊する、つまり母なる大地を破壊する人間と同じ生物。それはウイルスである。宿主の資源を限りなくむさぼりつくし、役目が無くなったと思ったら次の母体に移っていく。

この言葉はかなり印象的だった。人間とウイルスって確かに似てる。ウイルスに愛はあるんかな?

電磁波(=電子の流れ)に対する肉体感度が高いことは、盲目となった後にも周囲の機械(=電子回路)を「見る」ことができたことからもうかがえる(瀕死のトリニティは見えなかったことに留意。一方ベイン=スミスは異常な脳の活動(神経活動は微弱電流ですからね)のせいで見えたのだ)。

これは鋭いご指摘。面白い。


Why is in real the source of power


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