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山で遭難した経験からのギフト

井上ひさし作「父と暮せば」をアメリカで上演したいと思うきっかけになった東北一周の旅。
だが、そんなすぐには行動に移せず、悶々とした日々を送っていた。

しかし行動に移すきっかけとなった出来事がある。

それは山で遭難した経験だ。

忘れもしない、2017年7月7日。俳優仲間3人と奥多摩に登山した。私はその日、電車にスマホを置き忘れてしまった。
出だしからついてない日だった。

いつものように、たわいもない会話をしながら入山。
しかしいつのまにか山道から外れていたようで、気づいたらもう引き返せなくなっていた。

朝から山に登っていたが日が暮れはじめ、私たちは山で一夜を過ごすことを覚悟した。
3人ともヘッドライトを持っていたから日が暮れても動ける状況だった。その日の目標はとりあえず横になって寝れる場所を確保すること。

途中、急斜面で足場が不安定な場所も登った。
今思い出しただけでもヒヤヒヤする。
死んでてもおかしくない。

時間が経ち動くにつれ、水がなくなってくる。私はここで死ぬのかもしれないと、死を受け入れはじめていた。
仲間に水を分けてくれと頼んでまで、そんなことまでして私は生きていいのか?

深夜ごろ、運良く尾根のような平べったい場所に出て、そこで一夜を過ごした。
7月とはいえ、夜の山はとても寒かった。

朝から深夜まで登山して体はヘトヘトなはずなのに、眠ることができない。
次第に小鳥の鳴き声が聞こえ、日が登ってきた。

疲労と飢餓感が凄い。
私は水が残り少なくなってきていて、食べ物は残っていなかった。
仲間の1人が貴重なパンを3人分に分けてくれて、噛み締めながら食べた。

まさに戦時中の状況だった。

死との距離感が近づくと、この3人と争いごとが起こるのだろうか?
戦時中フィリピンに遭難した兵隊は人肉を共食いしたという話を思い出したりもした。

私は瞑想し始め、2人はスマホの電波が入る場所を探し始めた。
スマホを電車に置き忘れた私はそんなことさえもできない、水もない、食べ物もない、とても無力感を感じていた。

すると、1人が人影を発見する。
どうやら山道からそんなに離れていないようだった。
誰かに気づいてもらえるようにホイッスルを交代で吹く。

やがて、ヘリコプターの音が聞こえはじめた。
遠かった音は、次第に大きくなり、私たちの近くに来ていることを実感した。
私たちは気づいてもらうようにシルバーの光を反射するシートを掲げた。

そんなことをしていたら、救助隊の人が私たちを発見した。

助かった。

救助隊の人からは当然叱られた。
捜索するのに100万はかかる。

助けてもらったのだから、後悔しないように生きようと思った。
人を、自分を、もっと大切にしよう。
もっと積極的に生きよう。

そのことがあって私はすぐ、舞台装置家で版画家の脇谷紘さんに「父と暮せば」をアメリカでアメリカの人と上演したいと相談しにいった。
ニューヨークに行ったことがある人ととりあえず会った。
2018年、単身でニューヨークに行き知り合いをいっぱい作った。

そして今年2023年8月、David Rothauser氏とタッグを組むことができる。

「父と暮せば」は原爆の惨さが描かれているが、「生きることの大切さ」も描かれている。
亡霊のお父さんが生き残った娘に、「生き続けて、孫やひ孫に原爆の惨さを伝え続けて欲しい」と伝える。

私も私なりに、多くの人にこのことを伝え続けていきたい。

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