Ryoko Hirano

大分県出身。大分で16歳から俳優活動をはじめ、19歳の時に拠点を東京に移す。俳優・ディ…

Ryoko Hirano

大分県出身。大分で16歳から俳優活動をはじめ、19歳の時に拠点を東京に移す。俳優・ディレクター・プロデューサー。 2016年、井上ひさしさん原作の「父と暮せば」に出演後、この作品をアメリカの俳優とアメリカで上演したい!のプロジェクトを立ち上げ、2022年ボストン平和式典で上演。

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原爆投下3年後のヒロシマが描かれている「父と暮せば」を何故アメリカの俳優とアメリカで上演したいのか。

井上ひさしさん原作「父と暮せば」は、原爆投下3年後の広島の父と娘の絆の物語です。 色々リサーチをしていく上で分かったことは、戦争当事者の孫世代、私と同じ世代は「原爆は正義だったのか?」と疑問に思っている人がアメリカで増えてきているということ。 ただ私は、アメリカを批判したくてこの作品をアメリカでやるわけではありません。 どっちが悪いなんてことを言いたいわけでもありせん。 原爆の当事者は日本とアメリカの2カ国でしかないからです。 この地球で、もう二度と同じことが起こらない

    • 山で遭難した経験からのギフト

      井上ひさし作「父と暮せば」をアメリカで上演したいと思うきっかけになった東北一周の旅。 だが、そんなすぐには行動に移せず、悶々とした日々を送っていた。 しかし行動に移すきっかけとなった出来事がある。 それは山で遭難した経験だ。 忘れもしない、2017年7月7日。俳優仲間3人と奥多摩に登山した。私はその日、電車にスマホを置き忘れてしまった。 出だしからついてない日だった。 いつものように、たわいもない会話をしながら入山。 しかしいつのまにか山道から外れていたようで、気づい

      • 寝台特急でのヒーロー。ありがとうインド。

        2019年、ニューヨークに渡米する前に行っておきたいところがあった。 それが、アウシュビッツとインド。 何故インドなのか? 私が以前出演した舞台でインドを3ヶ月旅をし、帰国後に自分の家をゲストハウスとして経営するという役を演じた。 http://www2.odn.ne.jp/~aah16680/archive-2017.html その役を演じた時に、リサーチする為にインドに行けなかった苦い思い出がある。 なので、ニューヨークに行く前にインドに行っておこうと思った。

        • 振り出しに戻る。

          小学生の頃、友達の家にあった人生ゲームをよくやっていた。マス目に書いてある出来事には特に一喜一憂せず、どこかひと事で、そこには自分の意志などほとんどなく、ルーレットの数字により左右される。 たとえ振り出しに戻ったとしても、「どうせゲームだし」とまたルーレットを回して、その数字の通りにコマを進めるだけ。 振り出しに戻ったところで皆無になる必要なんてない。 手術日当時、手術をする前はドラマチックな出来事は特になく、とても淡々とした日だった。 主治医、オペ看さん、麻酔科の人、PC

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        原爆投下3年後のヒロシマが描かれている「父と暮せば」を何故アメリカの俳優とアメリカで上演したいのか。

          ヘルニア手術前夜22:30過ぎ

          手術前夜22:30過ぎ、色々考えてしまって眠れないので書くことにする。 ちなみに、眠れなさそうだったら、深夜0時前にナースコールを押せば睡眠薬を持ってきてくれる。深夜0時を過ぎると貰えない。 私は今その瀬戸際にいて、どうしようか考えて眠れなくなるという事態に陥っている。 手術をすると決めた日から今日まではとても早かった。 暇な時間はなかった。 入院していても、私にはやるべきことがたくさんあった。 英語を練習したり、リハビリも1日に2回あったし、電話やzoomで色んな人とのや

          ヘルニア手術前夜22:30過ぎ

          気づいたらヘルニア手術へ。

          ヘルニアの激痛で急遽搬送されたその夜、集中治療室で一夜を過ごす。 集中治療室の看護師さん、タフだなと尊敬する。 集中治療室に行く前 「こんなに痛み止め何種類も点滴しちゃってるのか〜」と主治医。 知らなかった。痛くて悶え耐えられなくて看護師さんを呼んでた認識だけだった。 痛み止めの点滴(薬)は違う種類であれば、時間をそんなに空けなくてもいいらしい。ありがたい。 そういえば水分をずっと取っていなかった。 痛み止めの点滴で頭が正気に戻った私は、看護師さんに自販機でお水を買って

          気づいたらヘルニア手術へ。

          〜序章〜気がついたらヘルニア手術へ

          5月の初旬、猛烈な頭痛に襲われた。 普段頭痛持ちではない私にとって、体験したことのない痛みだった。 神経内科に受診をし、頭と頚椎のCTとMRIを取ってもらう。 結果は脳には異常はなく、血液検査も異常はない。 ただ、骨と骨の間が狭くなっているから、頚椎の椎間板ヘルニアの疑いがあるとお医者さんから言われた。 俳優の傍ら介護の非常勤の仕事で生業をしている私は、職場に報告した。 すると、グループホームの会社から整形外科に行ってちゃんと見て欲しいと言われた。 認知症のグループホー

          〜序章〜気がついたらヘルニア手術へ

          アウシュビッツ強制収容所へ行く。

          「父と暮せば」(英題:The Face of Jizo )をアメリカで上演する為に2019年12月に渡米するのだが、その前に行きたい場所があった。 それは、ポーランドにある「アウシュビッツ強制収容所」 原爆のことを描かれている「父と暮せば」をアメリカで上演するから、世界で起きた悲劇をちゃんと自分の目で確かめたいと思っていた。 それは、おじいちゃんとおばあちゃんから戦争体験を聞いた時に感じた知る責任や、 2017年4月に陸前高田市に降り立ったって初めて体に腑に落ちた瞬間を経

          アウシュビッツ強制収容所へ行く。

          体に腑に落ちた瞬間

          私は1人旅が好きで、ちょっとでも時間ができると1人旅に出る。特に電車に乗るのが好きなので、東京から実家の大分まで青春18切符で鈍行列車で往復したりする。 井上ひさし作「父と暮せば」に美津江役として出演した翌年2017年4月、急遽1週間時間ができたので鈍行列車で旅に出ることにした。 行き先は、まだ行ったことのない房総半島か東北だな。 South Island(九州の大分)で育ったので迷った挙句、東北に行くことにした。 宿もその日に決める、その日暮らし。 私の旅スタイルはガチ

          体に腑に落ちた瞬間

          今後の展望〜「父と暮せば」アメリカでの上演について〜

          私は2016年、井上ひさし作「父と暮せば」に出演し、この作品をアメリカでアメリカの俳優と上演する為に2017年から準備してきました。 そして、2022年ボストン平和式典にて上演することができました。 平和式典で上演できたから、これでこのプロジェクトは終わりなのか? いえ、続いていきます。 私の大きな目的は、この作品がアメリカの教育機関「高校や大学」でこの作品をエデュケーションプログラム(教育)として取り入れられることです。 何故かというと、私が小学校の時に受けてきた教育

          今後の展望〜「父と暮せば」アメリカでの上演について〜

          知るという責任

          前回の自己紹介のページで、戦争のことを話したがらないおじいちゃんに、私が頭を下げて話を聞いたことに関して、おじいちゃんにとって良かったかどうか今でも分からない。 俳優のエゴなのかもしれないとも思うんだけど、演じる上で、おじいちゃんの孫として、日本人として、おじいちゃんが何でそこまで話したがらないのか知る責任もあると感じていた。 おじいちゃんは死ぬ直前まで日記を書けていたのかなぁ。でも戦争の話を聞いたのは96才の時なので、80年近く日記を毎日ひたすら書いていたことになる。

          知るという責任

          「父と暮せば」The Face of Jizoをアメリカの俳優とアメリカでの上演について〜その①自己紹介〜

          はじめまして。平野綾子(ひらのりょうこ)です。 大分県出身、通学路に牛がいるような山の中で育ちました。 小さい頃、ダウン症の弟が体がとても弱く手術と入退院を繰り返していた為、おばあちゃん、おじいちゃんが私の面倒を見ていてくれていた記憶があります。その時におばあちゃんから戦争の時の話をたくさん聞いていました。しかし、おじいちゃんは全くノーコメントでした。 そして、小さい頃から体で表現することが好きで、保育園の発表会や、運動会でのダンス、高校生の時の文化祭のステージ発表などは毎回

          「父と暮せば」The Face of Jizoをアメリカの俳優とアメリカでの上演について〜その①自己紹介〜