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これは誰の物語なのだろうか

母の依存から始まる話

10代の頃母と美容室にいっしょに行き、私は髪を切ってもらった後、待っていてと言われて待っていた。30分から1時間くらい。あまりにも暇でもっと有効に時間を使いたいのに待たされるのはいやな時間だった。いやと言ってもyes というまでしつこく聞いてくるから最後にはめんどくさくなっていいよと言ってしまう。こんなの理不尽だし、本当に気分が悪かった。やりたいことできないって潜在意識に言い続けるようなものでいいわけない。

誰かに何かをしてほしい、は度がすぎると歪みを生む。おそらく母は自分の依存症に気づいていない。ちゃんと育ててくれたことにはすごく感謝している。しかしいろいろ観察した結果、これはいらない考えだな、とか、間違ってるから採用しない、ということが結構あった。誰でも得意なことと不得意なことがあるから彼女を責めるつもりはない。もうこの人生で母がそれに気づくことはないのかもしれない。また生まれ変わっちゃうよ。

太陽射手座の私は役に立つものだけを選んで自分の中に取り入れていたと思う。理不尽なものは、特に光の性質に合わないものは採用しなかった。だって役に立たないから。ごみは捨てるものでしょう。

4つ下の妹は多分ゴミの部分も取り入れた。太陽蠍座の彼女はすごく思いやりがある反面、言い出したら何があっても聞かないから見ていて呆れるほどだった。小学生の頃本屋で私が父に毎月買ってもらっていたドラえもんの漫画を幼稚園に通っていた彼女も欲しいと言い出して、すでに家にある8巻を買ってくれという。同じ本を2冊買うなんて馬鹿げてる。新しいのにしたら?と言ってもこの巻が欲しいといって聞かなかった。新しい情報何もないじゃないか。結局父が折れてドラえもんの8巻が2冊家に並んでいた。そしてその本を買ってもらうことで満足するとあとは見向きもしなかった。

そんな彼女を妹として可愛がる反面、理解できない生物を見ているようだった。大人になってくると共感しやすい性質が表面化し、子供の頃の言い出したら聞かない、が姿を変えて行った。

絶対欲しいものが手に入るまで握っているから子供の頃はそんな彼女をずるいと思ったし、なんでそんなに固執するんだろうと理解できなかった。柔軟宮と不動宮の違いかもしれない。私たちは生まれた街が違う。父の転勤のため私は兵庫県で生まれ、妹は北九州市で生まれた。私は妹が生まれるまでの4年弱の間に4回くらい引っ越している。

子供から大人になる期間、引っ越しと転校を繰り返し、その度に日本語は通じるけど文化と習慣が違う土地に無理矢理移動させられた。国内の移動というのは中途半端だ。移動しても帰国子女になるわけでもなく、編入試験を受けたり、制服を変えたり、進度の違うカリキュラムについていく必要があった。引っ越してもポイントが貯まるような特典はない。めんどくさいことこの上ない。学校とそれ以外のコミュニティを毎回構築し、移動するとまた1からやり直しだった。高校に入学した時、4月のスタートから友達を増やして学年の半分の女子と友達になった。でも高2になる年にまた転校した。またかよ。高校生で転校するのは結構大変だ。公立高校に通っていたから転入先の受け入れ高校を自分で探すところから始まる。全国公立高校情報誌、いわばランキングのようなガイドブックを買い、母と一緒に自分の高校と学業のランクを比較して近い高校を候補に選ぶ。大阪に住むことは確定していたから3つの候補を選んだ。

北野高校。伝統校で、大阪の北部にある。見学に行ったけど、通知表の平均値4.0では編入を断られた。天王寺高校。大阪の南にある学校。制服はなく自由な校風。結構よさそう。編入試験は受けさせてくれるとのこと。生野高校。さらに南にある高校。編入を大歓迎してくれた。天王寺高校を選んで編入試験を受けた。見学に行った帰りに当時目新しかったアフタヌーンティーのカフェに立ちってランチを食べた。サラダにパンが入っているおしゃれなセットで紅茶がついていたと思う。初めて入るおしゃれな喫茶店は高校生活を暗示するようにキラキラしていた。この時2月だったか3月だったかちょっと覚えていないけど、その年の4月から天王寺高校に編入した。北九州で通っていた小倉高校は古風な公立校でブレザーの制服に校則が超厳しい進学校。対して天王寺高校は自由。制服もないし校則もない。やってはいけないことは何だろう?法に反すること?とにかく180度ルールの違う世界に放り込まれて途方に暮れた。同じことなど一つもなかった。いや、言語と貨幣が共通だ。日本国内だから。大阪弁と北九州弁というローカルなアクセントが違うぐらいだ。

続く

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