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心のしつけ

 先日、食事の席で子育ての話になりました。同世代の子どもを持つ親同士、参考になることばかり。特に興味深かったのは、あるお父さんのこんな発言です。

「子どもは好き嫌いだけで選ぶので、大人が『これも美味しいんだよ。食べてみたら?』って教えてあげなきゃいけませんよね」

 確かに、子どもたちは好き嫌いがハッキリしています。ただ、それは美味しいものを知り尽くした上でのことかと言えば、そうではありません。今の時点で「美味しい」と感じているものを好んで食べ、「美味しくない」と感じるものを避けているに過ぎません。

 うちの息子は小さな頃から、食べたことのないものに対して警戒するタイプでした。食わず嫌いとまではいきませんが、自ら進んで食べようとはしません。だから「これ美味しいから、食べてみ」と声をかけるようにしています。

 今でも最初は「え〜っ」と言いながら、ジロジロ見て、何度も匂いを嗅ぎ、舌先でペロッと舐め、少しずつ口の中へ入れていきます。そして、モグモグして美味しいことがわかると、笑顔で「これ、美味しい!」と言ってパクパクと食べるようになります。こうやって「美味しい」の世界を広げることが、ひいては健全な食生活を築く土台になるはずです。

 これは食生活に限らず、人生のどんな場面でもいえます。自分の好き嫌いだけで物事を判断していると、どうしても偏りができてしまいがちです。たとえば、好き嫌いだけで人間関係を築くとどうなるでしょうか。おそらくお互いに気兼ねなく、楽しく、ストレスの少ないお付き合いができると思います。

 ただ、好きな人が全員「いい人」とは限りませんし、嫌いな人の中にも「いい人」もいるでしょう。もしかしたら人生を大きく変えてくれる人が、その中に含まれている可能性だってあります。昔から「金言耳に逆らう」と言われるように、私たちにとって大事な言葉ほど反発心が起きるもの。そう思うと好き嫌いだけで人間関係を築くのは、かえって私たちの人生の幅を狭めることになりそうです。

 それでも私たちは、どうしても好き嫌いで物事を判断してしまう傾向にあります。じつは、これにも原因があると仏さまは教えてくださいます。それは私たちの「心」です。

そもそも心には清く正しい側面もありますが、反対に《欲ばり》《おこりん坊》《わからず屋》という側面もあります。もし、その側面が強く出てしまうと、好き嫌いという基準で物事を判断してしまいます。そして、その判断に基づいた発言や行動を取ってしまうことになります。特に表情は一瞬にして顔つきや態度に出てしまうので要注意です。

たとえば、自分の目の前に【9】という数字があるとします。そこへ嫌いな人がやって来て、向こう側から「その数字は【6】だ」と言います。こうなるとついカッとなってしまい、相手の立場になることができなくなります。それどころか「これは【9】に決まってる!」と自分の立場を頑なに守ろうとします。

向かい合った二人が見ている数字は同じです。ただ、自分からは【9】に見え、相手からは【6】に見える。でも、お互いに譲らないので揉めることになります。人生にはいろんなトラブルがありますが、案外こんな状況であることが多いのかもしれません。

そういった一面を改めるために、仏さまは「心のしつけ」が必要だと説かれます。それが仏教の本質であり、仏教を信仰する大きな目的の一つでもあります。「南無妙法蓮華経」と唱えて心を整える。仏さまの教えを聞いて、正しい判断基準を学んでいく。そして、その判断に基づいた発言や行動を取る練習をすることで、心も体もしつけられていくのです。

その生き様は「躾」という漢字の通り見た目にも美しく、自他ともに心が清々しくなる姿、雰囲気です。私たちは生きていく上で必要な知識や技術はたくさん学び、身につけています。ただ、それらを清く正しく使えるような「心のしつけ」は、なかなか受けることができていません。この世界から戦争がなくなるのはもちろん、人が悲しむような発言や行動が一つでもなくなるように。まずは自分から心を改めていこうと試みる。ぜひお寺で、ご信心で心を正しくしつけていきましょう。

「5秒で仏教」


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