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努力なんて報われない話

こんにちは〜iichannです〜

※この文章は、手術前に何かしないと落ち着けない僕が、好き勝手に書いているものです。批判もあるだろうし、何を言っているんだと思われた方もいたかもしれませんが、今感じていることを書き残しているにすぎないので、見逃してください。

僕は、去年ぶっ倒れて手術した時に、オストメイト、いわゆる人工肛門を持つしょうがい者になってました。(かなりショッキングなものなので、調べないことをお勧めします。)

これ、死にかけで、記憶もない中で、そうするしかない状況だったらしくて、受け入れるとか受け入れないとかではなく、そうなった。ただそんな感じでした。

今日まで、多分ほぼバレずに学校生活送っていたわけですけど、常にそれが頭の何処かにはあって、気にしなくちゃいけない、やれることも限られる。(僕の場合、ほぼほぼやることで、メンタル保ってました)

なかなかキツかったし、これが一生だと思うと、メンタル折れます。

なんで今更、そんなこと書いてるかっていうと、明日がストーマを下ろす手術日で、今日でこんな状況ともお別れというわけです。

嬉しいかって言われると、嬉しいはずなんですけど、入院は嫌だし、手術は怖いし、みんながキャンパスライフを楽しんでいる時に、自分は何をしているんだって思うんですよね。

うん。

努力なんて報われない話

こんな記事を書いている理由も、入院って結構ヘビーだと思っていて、というのもコロナのおかげで、完全に社会から隔離されるわけですよね。心身共に行動の自由を制限されるわけです。

とはいえ、SNSやインターネットがあることで、社会の情報は逐一、なかなかの透明度の高さで伝わってくるわけです。その度に、自分は何をしているんだろうと思わされ、何もしてないなとか、何もできないなみたいな感じでメンタルをへし折られるわけです。

いや、入院しててもなんでもできるやろって、ツッコミ入れたそこの貴方。それって思っている以上に大変なことです。ただでさえ、メンタル折れてる中で、どうモチベーションを保って、いつもとは違う環境の中でどう頑張るんですか。どう前向きに、頑張れば報われるって思えばいいんですか。

だって、おかしいんですよ。

自分で言うのもなんですけど、頑張れば報われるとか、努力は実まで頑張って初めて努力になるとか言いますけど、それは恵まれた人間の台詞か、本当に死にそうな状況の中でも頑張り続けられる、人間辞めた人の台詞です。

それこそ、水泳の池江選手とか、凄すぎます。常人には無理です。ましてそこで結果出すなんて、普通の人でも難しいのに、あの中でそれができるってもう人間辞めてるんですよ。

参考になるものじゃないです。

しょうがいを持っていたり、難病持っていたり、いわゆる努力ではどうにもならないものと戦い続けるって、それだけですごいことだと思いませんか?

なりたいわけでもないのに、その状況になって、死にかけたりしながら、それでも生きるわけですよ。本当、死ぬほど辛い思いしながらでも、生きてるわけですよ。

これって、頑張っていることにはなりませんか?

でも、報われるわけじゃないんですよ。だって、病気は治らない。しょうがいも無くならないんですよ。努力は報われるって、報われませんよ。

将来、特効薬ができて、病気が治ったとしましょう。確かに、報われたことになるかもしれません。でも、もっとできたはず、もっと動けたはずの時間は戻ってきません。

だから、努力は報われるよねって凄い残酷な言葉だと思います。

僕は、社会から隔離する度に、その存在意義みたいなのを否定される気がします。だって、僕一人居なかったところで、世界は回るわけです。これ、不登校になっちゃう子の何人かはおんなじ気持ちなんじゃねと勝手に思っています。

要するに、世界が回るのは当たり前で、学校も、学校で出されているグループワークとか、自分が所属しているコミュニティとか、大体自分の代役が出てきて、その人がなんとかするんですよね。

それって、社会と接している時に起こるのであれば、それ以外の接点で社会だったり、人に触れているから気がつかないんですけど、入院とかすると、それが痛いくらいに伝わってくるわけです。他の接点を奪われている状態なので、色んなところが自分が消えていく、そして居なくてもなんの問題もないよって、そう囁いてくるわけです。

だから入院ってなかなかヘビーだし、回数が重なれば重なるほどに、辛いわけです。築きあげてきた関係が壊れるみたいな。必死で修復しても、また入院で壊れるみたいな。

これで、分かったんですけど、人間って一人じゃ生きていけません。もっと言うと、居場所がないと生きていけないと思います。人でも場所でもコミュニティでも、何かがないと辛くて消えてしまいたくなります。

だからこそ自分を肯定したい話

だから、僕は色んなことをやって、なるべく自分の居場所を作ろうとしているのだと思います。それって、他の人もおんなじなんじゃないですかね。大学に行くとか、企業に務めるとか、どこかに存在していることで、自分自身を認識できるというか。

鏡を見るみたいな感覚です。僕が存在してるかなんて、それこそわからないわけですから、周りに存在していた痕跡を残すことで、自分自身が存在していることを認識してるんじゃないかって話です。なんかで読んだことある気がします。

最近ではそれが、学校では限界になってきていると思います。そこが自分の居場所じゃないって人もいるだろうし、夢中になれる何かを探している人もいます。でもそれが見つからないし、見えてこないし、教えてもらえないから、学生が色んな意味で死んでいくのではないでしょうか。

だから、なんでもいいんですけど、今孤独を感じている人は一刻も早く居場所を作ってください。そして、そんな孤独の人を見つけたら、自分が居場所になる必要はありません。然るべき場所に導いてあげてください。孤独じゃなくとも、夢中になれる何かを探してください。きっと、それがいつか大きな支えになります。

それこそ、池江さんは、それが水泳だったのかもしれないですね。

僕はまだ見つけられていないし、探しています。でもこれかなってものを見つけ始めていて、それを形にするためにチャレンジしています。そうすることで、自分自身の存在も肯定してあげられるような気がしています。

僕の存在を証明してく話

"学生が好き勝手に輝く社会"

それを少しずつ形にしています。近いうちに発表があるので、楽しみにしててください。

この記事が、孤独で悩む誰かに伝わればいいなと思います。

そんで、おんなじような奴がいるんだな〜ってそう思ってもらえれば。

そして、遠い未来で、これを見返した僕が、この時は大変だったな、でも今は自分が必要とされている場所で楽しくやっているよと、そう笑っていてくれると嬉しいなと思います。なので、ある意味日記ですね。

今日という日を忘れないように。

※この文章は、手術前に何かしないと落ち着けない僕が、好き勝手に書いているものです。批判もあるだろうし、何を言っているんだと思われた方もいたかもしれませんが、今感じていることを書き残しているにすぎないので、見逃してください。

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