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お腹の中の命

2024年3月1日。今の家に引っ越して両耳農園をスタートさせてから今日で一年が経った。昨年、初めて書いたブログには雑音を減らし、スローライフを充実させ、音のないものに耳を傾けたいという望みを述べた。その頃は自然界と被造物を造った神様と向き合って何に気付くかということを想像していた。つまり、空、土、虫、動物、苗、雑草、野菜、食物、隣人、自分、神などのことを考えていた。実際に農業を始めて、そこからの気付きや学びは非常に多かった。ところが、ある出来事をきっかけに私の注目は外の世界から完全に自分の内側へと急転した。7月に生理が来なかった。そこからは、考えもしなかった音のない自分の体の声にものすごく敏感になった。

子どもは望んでいたし、そのためにも祈っていたが、いざそうなるとやはり人は驚くのだなと実感した。もしかして?!と思いつつ、様子を見ながら待つことにした。遅れているだけかもしれないし、他に何か原因があるかもしれないし。ただ、体は無言にサインを出し続けていた。(私より先に旦那がキャッチできたものもあった)。そして、気になってたまらなくて、薬局へ足を運び人生で初めて妊娠検査を買った。家に帰って検査をした時の音と言えば、自分のおしっこが流れる音だけで、チャイムやお祝いの言葉もなく、ただ静かに一つの線が現れた。陽性。どうやら本当に妊娠しているらしい。逆に妊娠じゃなかったらなんだろうと心配していたぐらいだったからある意味ほっとした。ちなみに、旦那は結果を聞くなり喜び踊ってくれた。

そこから体はたくさんの方法で私に妊娠のことを知らせてくれた。眠気。吐き気。疲れ。腰痛。胃もたれ。偏食。無気力。食欲がなかったり、臭いに敏感になったり、1日に何度も吐いたりと辛い日々が2ヶ月以上続いた。忙しさに追われる生活から休憩したいと思っていた私は自分の思いをはるかに越えてスローライフを体験することになった。農作業をしていた時は日々外に出て自然に触れて、体を動かし、やり甲斐と充実感を感じていた。ところが、悪阻の時は布団とソファとトイレをひたすら行き来し、外に出ることはほとんどなかった。家事も料理も出来ず、寝ているか、動画を見ているか、小説を読んでいるか、ただボーっとしているだけだった。22歳からずっとフルタイムで働いて自分で生活してきた私からしたらあり得ない時間の過ごし方だった。特に、自分がぐーたらしている横で旦那が畑仕事を全部終えた後に家事も料理もしている姿を見ると自分は役立たずで申し訳ないという気持ちになった。

ただ、その気持ちはともかく、働いていない訳ではないと頭の中で自分に言い聞かせていた。今、自分の体はものすごく頑張ってくれている。新しい命を作り出している最中である。ここで無理をするとその働きが邪魔されて、下手したらその命が消えてしまう。それぐらい大事な働きを任されている。残念ながら、頭では分かっていても、人間はバカでやっぱり自分が何かを貢献しているという実感を欲しがる。「ただ座って、じっとしていることがあなたの一番大事な働きだよ」とは言われたくない。無意識に、目の届かない場所で、音も聞こえない中で重要な働きが起こっているということを信じるのは難しい。不信仰な私たちは目で見て、耳で聞いて、自分の頑張りを確認したい。最初の検診に行ったとき、エコーのスクリーンで小さな心臓が動いているのを見て、心拍の音を聞いて、やっと赤ちゃんがいることを実感した。そして、自分の体の苦しみや動けない状態が無意味ではないと確認した。

ところが、健診と健診の間に1ヶ月も空くとまた疑問が出てくる。本当にいるのかな。まだ生きているだろうか。ちゃんと成長しているだろうか。妊娠は、見えも聞こえもしないものを信じて待つということだと思い知った。でも、待っていると少しずつ変化が起こり、体が静かに語ってくれる。吐き気がマシになったり、体重が増えたり。お腹が大きくなり始めたり、何かが自分の中で動き出したり。臨月に入った今ではお腹はビーチボールが入っていると思うぐらい大きくて、一日中赤ちゃんの動きを感じられ、エコーを見なくても、心拍が聞こえなくても、間違いなくそこに居るんだという確信はある。ただ、それでも赤ちゃんが最後まで問題なく成長し、無事に産まれてくる保証はない。ここも待って信じるしかない。

こんなことを考えながら9ヶ月を過ごした私は、妊娠は有機農業と似ているところが多いことに気づいた。種を蒔いてから直ぐに芽が出る訳ではなく、発芽するかどうかすら分からない。やっと芽が出たところで、そこからの成長は長く、大きくなっても実がちゃんと成るか、成ってもちゃんと収穫できるか、その時にならないと分からない。水や肥料を与え、マルチをし、除草をしたからといって必ず上手く育つとは限らない。天気や気温、病気や虫、土や雑草など、野菜を影響するたくさんの要素があり、人間がコントロールできる範囲には限界がある。ベストを尽くして後は祈って待つしかない。目が届かない、音も聞こえない土の中で自分の努力を超えて何かが起こっている。時が来たら実が結ばれ、収穫の日が必ず来る。農家はそう信じて働く。

私もそのように目が届かない、音も聞こえない自分の腹の中で自分の努力を超えて命が育まれていることを信じている。この子が無事に生まれることを祈って、新しい命の誕生を待ち望んでいる。

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