過去を評価するのはいつでも今の自分

会社員をやめました。


新卒で入社した会社、かれこれ7年程勤めて、辞めた。
きっかけは、激務で有名な研究開発部署への転勤を伴う異動の打診だった。

この出来事がきっかけとなって、
【自分が挑戦したいことをしてもいいんだ。私の人生だ。】
という想いが強くなった。
私は次を決める前に、会社を辞めることにした。
退職願を出した時、それからのことは確定していなかった。

しかし結果的には3月に退職、4月には移住して、仕事をし始めていた。
自分でも動き出すと早いということを実感した。

「いや」なことは、何をもってしても嫌

もともと、自分はまあいいかの許容範囲が広いタイプの人間で、
超良いねーーーいいねーーーあんまりだねーーーいや
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上の「超良いね~あんまりだね」までは
自分の中でも普段から序列がふわふわしている。
だから常に自分の中で優先順位を持っている人と出会うと
すこしだけ感激してしまったりする。

そして今回の転勤の話は、自分の範囲の中で確実に「いや」なことだった。

中部への転勤、激務部署への異動...
それに付随する諸々が嫌だった。
私は今まで転勤してきた地域で大阪が比較的気に入っているし、
こちらでの人間関係もある。
近畿のその地域に住んでいた時期もあるけれど、
水が合わずに総じて戻りたくないという気持ちだった。

そしてこの「いや」レベルの事は全力で回避しようとするものだ。
あらゆるものを引き寄せて。

この会社のことが好きだった。
事業内容にも共感してやりがいを感じていた。
人間関係に悩んでもやめようとしなかった私が、
すっぱりきっぱり「辞めます。」と上司に伝えていた。

次の一歩が目の前に

心が決まった人は強い。
次の一手を決めて、踏み出した先に次のステップが出てくる感覚。
転勤の打診を受けた1月から、退社する3月までに、
移住先を決め、そこでの仕事のひとつを決め、引っ越しの段取りをして
4月になり新しい土地にやってきた。

もちろん、3か月でゼロから決めたわけではなく、それまでに訪れた場所やつながりを持った人との関係の中で、次のステップを踏み出した。たくさんの人にお世話になった。

それで、今思うことは「物事を難しくしているのは自分自身」ということ。「できない。」「自信がない。」「やっていけるかな。」そんな風に思っているということは、やれるかどうかのシュミレーションを何度もしているって事だと思う。だから、できないと思う「理由」が何なのか、もう少し掘り下げていけばきっと少しずつ状況は変わっていくと思う。

自信がなかった私も一歩を踏み出して、移住してから1年が経った。
それでも、去年の自分が一歩踏み出したことをほめてあげたいと思う。
そして、転勤を打診されて「NO」を伝えてから、すぐに次のステップを踏み出した自分、当時は好きで通っていた地域で、色々な人と出会えていた。今考えると人生に必要な悶々とした時期だったと思う。

人って「その段階」でしか「良し悪し」を判断できない。

今の段階で、「必要なステップだったんだね。」と思える過去があって
でもその時点ではたぶん「つらい、しんどい、悶々とした今」だったかもしれない。
基本的にひとは、「今現在からみた過去」というフィルターで物事が良かったか悪かったか判断していると思う。
だから、今、現在を無為に過ごしているという感覚は持って自分を追い込む事は意味がないことだと思う。
今ダメだと思っていても、未来には全く違った捉え方で「今」を見るかもしれない。
今は、刻一刻と過ぎていくので、今が生み出す結果や状況が人生の汚点(大袈裟(笑)になるかもしれないと悩まなくといいと思った。今を繰り返した未来で、振り返ったら全然違う世界があるかもしれないから。

「移住してハッピーに過ごしている今」から見た「一年前の一歩」はとてもポジティブな過去だけど、
例えば10年後路頭に迷っているとして、そこから見た「10年前の一歩」は転落の始まり、と捉えられるかもしれない。

人間なんてそんなもので、いい意味で都合がいい。(笑)
だから、自分を責めすぎないでほしい。

まとまらないけれど、
一歩を踏み出して、人生に新しい側面を持つことも面白いと思う。

もしこの春から新しい一歩を踏み出した人の中でこの記事を読んでいる人がいたら、一歩を踏み出す勇気を大切にしてほしいと思う。

今始まったその生活やその仕事がこれからずっと続くとも限らない
自分が一歩ふみだして別の道を歩むかもしれない。
思いつめずに、日々を過ごしてほしい。

かくいう私もこれからのことは、まだまだ模索中だ。

いつか山梨に住みたいナ…。