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語られず、示されるものの妙味 居谷里・山廃純米原酒を飲みながら

どうもこんばんは、りょーさけです。
今日は昼間から用意していた記事があったのですが、いろんな勘違いで明日に回すことになりました。

勤務終了アンド帰宅した後記事を早々にアップし、優雅なもぐもぐタイム(流行語?死語?)を過ごした後「今日こそは早く寝る!」と思っていた計画はもろくも崩れ去りました。

や、これでもいつもに比べればずっと早いからいいんですけどね。
さて、今日もお酒をいっぱい…と。

長野県のお酒です。居谷里。山廃純米原酒70。
買ったのは…確か…ん…?8月!そう8月。
買った日に甲子園やってたから間違いない笑

いやあ、段々と直近の記憶も怪しくなってきました。
僕もそれなりに歳を重ねたようです。

これを初めて開けた日は、ホテルで一人晩酌でした。
器がないからホテルのグラスに開けてコンビニの適当なおつまみと一緒に頂いた。

その時は今に比べたらひよっこだった気がする。十分素晴らしい味でしたが。うっすらぼんやりバナナの残り香、中盤からくる芯をたしかに持った旨味、それを大きな腕でかき分けるように遅れてやってくる酸味。あとに残る古木の樹皮のような風味…。後に大きな実をつけるおおらかな大木の趣がありました。

僕はまだまだ日本酒の入り口にいるやつなので、この姿からこの酒の未来の姿を完璧に予想することはできません。できなかった。でも、これってもしかして時間が経てば経つほど素晴らしくなるんじゃないかなあって思ってて…。

それが今、にわかに結実しつつある。
今日飲んでそう思っています。

この酒の魅力の中核をなす力強い酸がその勢いを保ったまま旨味と調和しだしている。しかも旨味は更に強くなり艶が出ている。道中適度な甘みのあるドライフルーツのような趣を感じることもあるでしょう。これは「旨甘酸っぱい」なんていう感想では到底足りない。もっともっと成熟した旨味と酸味を感じます。天真爛漫な旨甘酸っぱさでなく、その正反対。ある種の辛酸をなめながら己の大切なものを貫いた武道の達人のような風格です。
威厳はあるけれど、しかし表情は柔和。不思議です。これだけ激流のような酸・旨味・甘味を持っているのに、必要以上の厳しさは見せない。語るのは己の拳でのみ。相手を態度や表情で威圧しない。キャンキャン喚かない。所構わず噛みつかない。礼節をわきまえている感じがします。柔よく剛を制すとはこのことでしょうか。

素晴らしい。黄金色のため息が出ます。この一杯にこれだけのもの詰め込めるとは夢のようだ。

さて。
この居谷里を僕は東京で買いました。以前から一方的に「すごい」と思っていた方がやっている酒販店で買ったのです。

僕は非常に軟弱なので、圧倒的不条理で迫ってくるいわゆる「世の中」というものに対して毅然とした態度で向き合っている人を見ると「格好いいな」と思ってしまいます。で、その方は思うにまさにそういった方でした。故に憧れたわけです。(勝手な憧れというのは迷惑なものです)

夕方に急な電話をしてお店に向かったにもかかわらず、その方は穏やかな表情で僕にいろんなことを語ってくれました。表情も語り口も穏やかだけれど、その中には内容的にもちろん厳しい話もあった。しかししかし、ところどころに僕に対する配慮のようなものも感じましたし、何よりその方が想像通り自分の思うところに誠実な方だったので何よりも僕はそれが嬉しかった。

格好良かった。
この居谷里も数種類おすすめして頂いた中から購入したものです。

それらの数種のお酒を僕に紹介する時、どれを紹介する時もその方は非常に感慨深そうでした。ただ味を知ってる、見てるとかではないのです。それを通して造り手を語り熟成の妙味を語り、日本酒の素晴らしさを…僕では組みつくせませんが、あのですね。

組み尽くせないんですけど、安心するんです。
「自分の好きなお酒に関して、こんなにも愛着を持って接している人が確かに存在する」というのは僕にとってとても嬉しいことなのです。

酒が好きになればなるほどその管理の難しさを知り、売り手になれば売ることの難しさを知ったり、その他諸々うるさい難しさがあり好きだからって平坦ではない訳だけれど、そこに向き合っている。


そんな先達が目の前にいらっしゃるというのは、時にいろんな事情から酒に対する熱意を失いそうになる弱い自分にとって救いとすら言えるのです。

僕はもっと汲み取りたい。どんだけかかってもいいから汲み取りたい。

だから、なんだ、うん、ええと。

この居谷里はおいしいお酒なので、ぜひ飲んでください笑

あと、やっぱりこういう意味で信頼できるところで好きなものは買いましょう。好きなものほど買いましょう。
そういうお店の人は必ずモノを売りながらモノ以上を売っています。そしてそれは語られるとは限らない。あなたに示されているものだ。

それを感じましょう。単にいいモノを買うんじゃない。「いいモノを伝える人のいいトコロ」も感じていきましょう。

そんな風に思います。

…。

こんな風に書き手の気分が高揚した文章は読み手にとって必ずしもいいモノとは限りません。
ところどころ非論理的で飛躍してて、あと思い先行で自分の頭の中のことばっかりになるので「明日使える手頃な豆知識」とか近頃の読者様が大好きなものが抜け落ちてます。あと暑苦しい。

でも。

たまにはこういうのが書きたくなるのです。
文章の効用は必ずしも客観的な価値はなくてもいい。そういう文章があってもいい。

はい。そんな風に、思います。

オレンジ色に染まる居谷里をみて、夕日に染まる大塚を思い出して、乾杯。

…旨い。

本当にありがとうございました。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。