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誰かありのままの「俺様」と友だちになってくれないだろうか。

誰にでも昼の部分と夜の部分があると思う。二面性っていうかなんというか。別にスパイ映画の話をしようとしているんじゃない。どうせスパイになるならイーサン・ハントくらいのイケメンになりたい。天井から吊るされて鼠のせいでヒヤヒヤしたい。高層ビルを登る途中で登るための高性能デバイスが壊れかけて焦りたい。

夜の部分を見つめるのは難しい。

自分でも夜の深さはわからない。何しろ夜には光がない。スマホで照らしても光量が足りない。そのうちにバッテリーも切れるだろう。スマホは役に立たない。いっそ捨ててしまえるだろうか。照らす役に立たなくても、僕はスマホを捨てられるか。

捨てられない。だって2年縛りの中間地点だからな!

いや、それはジョークだけれど、見て気分が落ち込むんだとしても僕はスマホを捨てられない。悪癖なのは分かってる。けれど数々の幸運もこの手の中に運んできたこの小さな英雄を、僕は簡単に手放せないんだ。ちなみに僕は楽天モバイルを使っている。今の「英雄」を「こいつauと掛けてやがるな畜生め」と思った人は若干の勇み足だ。勇み足ごくろうである。何様だろう。人間様か。

いや、俺様、なんだろうな。

僕の一人称はこの通り「僕」だ。けれどもその硬くて案外薄い殻を破って中にはいるとその中には俺がいるんだ。僕の天神様は俺なのだ。意味分からんやつはクエン酸が足りてないから今すぐカリカリ梅でも食べなさい。余裕のある人は紀州の梅農家を応援するためにお高い梅でも食べなさい。

で、皆様が梅をかじりながらもう一度画面に向かっているであろうこのタイミングで、ちょっと情けない話をしてもいいだろうか。いいんだ、梅の酸っぱさを味わいながら、むしろそっちに集中しながら読んでくれたらいいんだ。

今日の朝ふと思い立って、ある語句を検索した。

自己愛性パーソナリティ障害。ご存知だろうか。

簡単に言うとナルシストを陰気にこじらせたような性質をもっちゃう障害らしい。

ぶっちゃけ今も躊躇しているけれど、noteで僕の記事を読んでくれているひとには言っておきたい。

多分、僕はコレである。

ウィキと無料で手に入る情報だけでは確信が持てなかったから本屋に行って専門家が書いた本を買ってきた。

その本を見て驚愕した。そこに書かれていたのは、紛れもない僕だったのだ。

この著者は密かに僕の生活に密着して本を書いたのではないか。サイレント情熱大陸。サイレントプロフェッショナル。

まあそんな訳はないのだけれど。

この障害を持つひとは、どうやら自己愛との付き合い方が下手らしい。他人に対して「ありのままの自分」を見せるのが怖くて自分の周りを氷漬けにし、ミュージカル調の大ヒット曲を歌ったりするらしい。

それはアナ雪だ。

とかく幼少期に何らかの問題があり、裸の自分と付き合えなくなっちゃって誇大妄想を含んだ自己像を作ってしまうらしいのだ。

それを自分自身の「捏造」と言われてしまうと、ちょっと心にきてしまうんだけれど。ハハハ。いや、紛れもなく捏造なんだけれど。

なんだかその本を読んでから、自分がそれなりに(いや、嘘つくな「超頑張って」だろう)熱心に唱えてきた言葉とか、主義主張とか、やりたいこととか、まとめれば思っていることすべてがもしかしたら病的傾向によってもたらされたものなんじゃないかと疑ってしまって、いまちょっとブルーなんです。よくわかんないパイプで音と動作のパントマイムができちゃいます。それはブルーマンですね。アハハ。

そっか、あれもか。

そっか、あの日もか。

そんな風に思うとさ。

自分がツバメになって、自分自身の誇大妄想が像になったやつの金メッキを剥がしているような気分になる。ああ、そっか。こういう自分を「悲劇、のち喜劇」みたいな感じで彩ってしまうこの感情も、もしかしたら、障害の影響が?幸福な王子様、凡庸な男はどうやって生きたらいいですか。

そうかあ、あの勇気を振り絞ったつもりの春先の記事も、もしかしたら病的傾向によって生み出されただけだっただけなのか。マジか。

でもさ。それでもあれは紛れもなく「僕」と「俺様」が書いたんだよ。僕だけではさ、あそこまではいけなかったんだ。一定数のひとには読んでもらえた。嬉しい言葉ももらったんだ。またその言葉をくれたひとたちと、僕と俺様は笑って飲みたい。

笑って飲みたい。またあなた達と、心から笑いたいです。俺は。

病気だったら、治療ができるんだ。難しくても、治療できる。まだわかんないんだけれどさ。それをやったらまた違うものが、文章が自分の手から生まれるかもしれない。それはもしかしたら、もっと多くの人に読んでもらえるかもしれない。

自己愛性パーソナリティ障害の一般的な症状には、自分の能力を越えた相手に対してあえて勝負をすることなく「ふん、あいつは俺より劣っているから戦う必要はない。ケッ。」っていって勝手に「不戦勝」気分になるって書いてあった。そういう相手と土俵を同じくするためのコツコツやる努力ができないって。(その実それは「不戦敗なのだ」と本には書いてあった。なかなか厳しくて、ありがたい本だ。)

でも、俺は書き始めた。ときにそれは俺「様」の影響を強く受けていたけれど、でも書いた。1年以上書いた。ちょっとずつ、良くなっているはずなんだ。ねえ、こういう風な思いを抱えているひとって誰かいないんですか。よかったら俺と一緒に昼間の往来を一升瓶でも片手に闊歩しませんか。

笑いながら。

ねえ。


誰かありのままの「俺様」と友だちになってくれないだろうか。

酒とか、詩とか、何でもいいから、話しませんか。

もう限界だ。

家族が眠る寝床へ、俺は行きます。あの夏に乾杯は、明日こそ投稿しますね。



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