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言葉とは何を言うかではなく、誰が言うかに尽きる。その誰が、に値する生き方をしたい。

イチロー選手は大好きで、気になっている言葉があります。

「言葉とは何を言うかではなく、誰が言うかに尽きる。」

とても辛い言葉です。私が言っても無意味だということになってしまいます。ただその言葉には続きがあります。

「その誰が、に値する生き方をしたい。」

最後まで聞くと「なるほど」と頷けます。イチローさんですら、まだその「誰が」になれていないという意識です。最後の一文がイチロー選手らしさだと思います。

毎日いろんなことを書いていますが、私が哲学や人生の指針になるようなことを言える立場にないことは十分よく分かっています。イチロー選手の言う「誰が」に、私はなっていませんから。


私が対象としているのは、私です。


私が対象としているのは、実は私です。毎日書いている内容は、私自身に向けて書いています。私はあまり頭が良くないので、すぐ忘れます。記憶力は子供の頃から人よりかなり劣っています。だから少しでも頭に残るように書くことにしたのです。本当は紙に自筆するのが一番良いはずです。でもそれでは続かないんです。誰の目にも止まらないので、努力しなくなってしまいます。それだけ私は弱い人間です。一人読んでいただけるだけでも励みになるのに、たくさんの好きを毎日ありがとうございます。継続の力になっています。

おこがましいこともちょいちょい書きます。私ごときが言って良いのかと思いながら書いていることもあります。時には押し付けがましいことも書いています。感情的に勢いに任せて一気に書いてすぐ載せたこともあります。

過去の文章を読み返して恥ずかしくなることがいっぱいあります。「誰が言うてるねん!」と自分でも突っ込んでしまいます。「何様気取り?」と思うようなこともあります。こんな私の文章ですが、それでも読み続けていただける読者の方がいらっしゃることに感謝いたします。


先生という立場は誰でもなれる


私は運動音痴で運動嫌いだったのに、マラソン本を出版したことで、マラソンの先生と呼ばれるようになりました。当時は正直言って辛かったです。本当は先生と呼ばれるような立場ではなく、たまたまブログが本になっただけで、ある日から先生だなんて、恥ずかしいことでした。

この時に気づいたんです。先生って誰にでもなれるんだってことに。


先生という立場で教えることのできる人は、トップに立った人しかできないわけではありません。極端に言うと、一流の人は二流に教えることができます。二流の人は三流の人に教えるノウハウを持っています。そうやって、少しでも上の人が下の人にノウハウを伝えることができることに気づきました。だからそれ以来、恥ずかしいことだという意識を持たなくなりました。知っている人が知らない人に伝えることに引け目を感じることはないんです。

私は先生ではなく、伝達人、かな?


私が毎日noteを書くことは、自分自身がインプットしながらアウトプットしていることになります。学ぶことだけでは、なかなか成長できません。アウトプットしてこそ成長できることは、noteを書いている人なら誰でも理解できることでしょう。多少おこがましいことも書きますけど、これからもどんどんアウトプットしていきたいと考えています。よろしくお願いします。


サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。