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「型にはめる」の再考 - 息子の小学校入学を迎えて思い出した水泳大会

小学校入学🏫

子にとっても親にとっても人生で大きなイベントです。

(新しい環境に適応できるかな。)
(新しい友達ができるかな。)
(先生とお話ができるかな。)

初日のオリエンテーションを控え、5歳児ボスも緊張が隠しきれませんでした。

(*イギリス系のインターに入学を決めたので、一年早い入学です。)

”I am nervous.”
"I am shy."

どこに行っても一瞬で友達を作ってくるボスでさえ
小学校入学はかなりのストレスがかかっているようでした。

「お子さんが学校で迷うかもしれないので、初日だけは名札シールを胸に貼って登校してくださいね。」

先生から言われていた言葉を私がてっきり忘れ、初日のドタバタでボスの胸にシールを貼るのを忘れてしまいました。

ふと、自分の小学校時代を思い出しました。

思い出した苦い記憶

私の小学校時代といえば
あの日記を書いていた頃です。

実は日記を書きはじめる前の1年生、2年生でいくつか苦い思い出があったことを思い出しました。

ずっと封印していた苦い記憶です。
(*いつもと違い、少し悲しい内容も含まれます。)


小学一年生からスイミング教室も通って、水泳は大好きでした。

クロール、平泳ぎ、バタフライまでクリアして学校のプールの授業も毎回楽しみでした。

2年生になり、1年生と2年生の合同の水泳大会が開催されることになり、自分も楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。

クロール4人のリレーのアンカーが決まって、嬉しくて嬉しくてスイミングでも練習に励みました。

爪のチェック

水泳の前に恒例だった先生からの「爪のチェック」。

爪を長いとプールに入れてもらえないというルールがあり、子どもたちも忘れずに切っていました。

時々切り過ぎてしまって

先生:「これは深爪だー。切りすぎだぞー。」

なんて先生とのやりとりも見ていたので、

「切りすぎもダメなのか」と思い、私も深爪にならない程度に前日夜に母に手伝ってもらって楽しみに寝ました。

水泳大会当日

「絶対に負けないぞ。」

と意気込んで楽しみに学校に向かいます。

海水パンツに着替えて恒例の爪のチェック。

深爪でもいけないという言葉も覚えていたので、完璧な爪を見て褒められると思いきや、

先生:「なんか長いなー。」

担任の先生が目を曇らせました。

私:「えっ・・・?」

先生:「これは今日は泳げないな。」

私:「・・・。」

そんなことがあるのかと完全に絶句し、どうしようもない悲しさに包まれました。

着替えた海水パンツから体操服に再度着替え、プールに向かいました。

プールサイドで体操座り。
友達がラジオ体操から始めるのを見守ります。


周りの友達からも、別のクラスの先生からも

「なんで泳がないの?」
「アンカーでしょ。」

なんて言われ続けて、目の前をペタペタ歩いていく友達たちを横目で見ます。

そして、自分が泳ぐはずだった一番最後の競技のクロール4人メドレーの時間。

自分が泳ぐはずだったアンカーには別の子が指名されていました。


(長いなー。早く終わればいいのに。)


楽しみにしていた水泳大会は見学で終わりました。


帰宅後

「水泳大会どうだった?」

家に帰って母から笑顔で聞いてきました。

説明に困ってしまったのを今でも覚えています。

「。。泳げなかった。爪が長いんだって。」

こんな感じだったと思います。

その後のやりとりは覚えていませんが、おそらく母の怒りは抑えきれなかっただろうと思います。

後からわかったのですが、隣のクラスで爪が長かった子は、担任の先生が切ってあげていたそうです。

必要な「型」とは何なのか。

この出来事から30年後。

当時の気持ちを振り返ってみても、なんとも言えない苦い記憶として残っていることがわかります。

トラウマ的な記憶なので、あまり人に話すこともなく、思い出すこともなく自分の中に封印してきました。

時間のおかげで少しずつ癒され、向き合うことができ、ある程度人生の経験も積んで言語化して発信できるようになってきたのが今のタイミングです。


今、その当時の先生と対等に議論したいこと。


爪については、水泳大会というタイミングでそこまでこだわるべきルールだったのか。

そもそも水泳大会は罰を与えるためのイベントではなくて、良い思い出として残すべき行事なのではないか。

爪の長い、短いはあくまで先生の主観ではないのか。

「深爪だ」と児童をいじっていたやりとりは何だったのか。

一人の児童に対して必要な教育的インパクト(罰)だと考えた上での判断だったのか。

爪が多少長いなら、別のクラスの先生のように切って参加させてあげればいいじゃないか。


もしその当時の担任の先生が生きていたら、このnoteを読んでほしいと思っています。他界されていたとしても、この経験は今生きている自分に残っているので、ちゃんと届いてほしいと思っています。


私自身については、教員免許も取り、海外留学であらゆる価値観も経験し、日本で実際に教員として教壇に立つ経験もしました。

すごく前向きな考え方をすれば反面教師ですが、水泳大会を体操座りで見学した記憶は今でも消えていません。


教員を経験した後は香港留学を経て、タイに移住して8年。

日本の外から日本をいろんな角度で見てきました。


いろんな価値観を体験して、親視点でも教師視点で判断したとしても、
あの場面は私という小学生に泳がせてあげれば良かったと思っています。

先生という一人の大人の価値観や、校則という固い固い「型」にはめた結果、一人の子どもに与えたネガティブなインパクトはそう簡単に消えませんでした。

もっと酷い経験をした人は山ほどいると思います。

だけど、この話が一つの教訓としてどこかで残ってほしい。

変化のきっかけになってほしい。

それでも体質や人の考えが変わることは本当に難しいし時間がかかる。

だからこそ自分にできることはせめてできれば。

そんな思いで封印していた気持ちを書くことにしました。


自分の子どもには絶対に絶対にあんな経験はさせたくない。
そんなネガティブな経験をする可能性さえも作りたくない。

もしかすると自身の海外移住は教育移住的な意味もあったのではないか、と最近思うようになりました。(移住当時は子どもはいない状態。)


自分のボスと姫には自信を持って育ってほしい。

そんな思いを馳せて臨んだ我が子の小学校入学の初日。

名前シールを貼るのを忘れてしまったボスに

「名前シール忘れたけど大丈夫だった?」

と聞くと

The teacher said, "Don't worry, you don't need the name tag."
先生は「心配しなくていいよ。名札シールはいらないから。」と言ったよ。

こう言ったそうです。

何か肩を撫でおろすような気持ちになりました。

(少々考えすぎ感があるのは否めない。。笑)

最後に

「新しい葡萄酒を古い袈裟袋に入れない」

こんな教えを聞いたことがあります。

物事は変わっていくので、新しいものを古い価値観で受けてはいけない。
こんなメッセージです。

時代に即さない校則についての議論も盛り上がっているようですが、校則に限らず時代遅れの「型」については即刻廃止するべきだと思っています。

・その「型」は大人社会(日本だけじゃなく)で考えたときにも必要なのか。
・その大切にしている「型」の意義について疑問を持ったことはあるか。
・その「型」を固く保つことで守りたいものは何か。
・「型」を通して与えたいインパクトは何か。
・「ルールを守る」という教訓を教えたいなら、それはそのタイミングがベストなのか。

こう言った判断ができるには、大人側が柔軟性を持って学び続けないといけないと思います。

私たちが持っている価値観は、過去から作られたものだからです。

学んだだけではなくて、変わりにくい体質を変化させるための行動につながってほしいと思っています。


子どもや自分より若い人と接するときに
「親の自分たちの時代がこうだったから」
という理由づけ必ずしも善ではないことは明らかです。

これは自分の元教員の経験を通しても、初心者の親として子育てをするようになっても感じているポイントです。

 自分たちが柔軟性を持って学び続ける謙虚さ
 未知の方法でもチャレンジする勇気
 トライアンドエラーでめげない心、根気
 多様な価値観を受け入れる寛容性


大人たちがこのマインドを持ち続けることによって、
なんとか変化の兆しが見えてくるような気がします。

YouTubeでお話したような「器を広げる努力」を続けたいものです。

感極まって色々と書いてしまいましたが、誰かの支えになれば幸いです。

子育てと多様性 (YouTube)

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