見出し画像

人生はしりとりのように続いていく

人生はしりとりのようなものである。だが、人生の終わりの言葉は「し」なのに、しりとりは「し」で終わることがない。同じ語尾で終わりなら、スッキリするのだけれど、なんだか歯切れが悪いような気がする。でも、死んだら何も残らないため、そんな些細なことはどうでも良いのかもしれないとも思った。

多くの場合、しりとりは「りんご」で始まる。そこから「ゴリラ」「ラッパ」と続き、語尾が「ん」にならないようにやりとりを重ねていく。しりとりを終わらせるために「ん」がつく言葉を使う人もいるが、しりとりを面倒だと感じたときに、「ん」以外の語尾のまま終わりを迎える。これは人生を面倒だと感じた人が取る選択と同じだ。語尾が「ん」にならない限りはいつまでも続けてもいいのに、自らの手で終わらせる。そこに何かを意見する気はさらさらない。

しりとりを始めた当初はスルスル言葉が出てくるのだが、やりとりを重ねるたびに残された言葉がどんどん減っていく。これは人生に似ているような気がする。人生は歳を重ねれば重ねるほどに体力や気力の低下に伴って、少しずつ行動力が落ちていく。しりとりも少しずつ使える言葉が減っていくため、うまく言葉が出てこない人はうんと苦労している場合が多い。

しりとりでよく使われる同じ語尾攻め。経験上「る」で終わる言葉ばかりを使われたことがある。きっと「る」で始まる言葉は他のものよりも少ないのだろう。同じ言葉で始まる言葉を脳内から捻り出す作業も簡単ではない。しりとりは同じ言葉を二度と使えないという難点を抱えている。人生との相違点は続けようと思えば永遠続けられるという点だ。

相手の弱点を狙うやり方は勝つための有効手段である。だが、こちらが大きなダメージを受ける一方で、相手も同じように「る」で終わる言葉を探し続けなければならない。ここで言う相手とは人生における困難である。自分の敵は誰かではない。いつだって自分自身だ。あらゆる困難が自らの歩みを阻む。それを乗り越えた人だけが見られる景色はあるが、めんどくさいという壁を乗り越えられない人が多い。加えて、人生は制限付きかつ年々体力や気力が低下するというオプションが付いてくる。非常に困ったものだ。きっと自身の行動力も歳を重ねるたびに少しずつ減っていくのだろう。

だが、人生はしりとりとは違って、同じやり方を何回でも使っていい。過去の成功体験でうまくいくならその手法を取ればいい。それがダメならまた別のやり方を考える。試行錯誤を繰り返しながら少しずつ理想の景色に近づいていく。そうやってしりとりのような毎日を色鮮やかなものにしていきたい。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!