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現状を嘆くのは前を向くための必要条件

学生時代にサッカーをやっていた。よく当時は「視野が広いのが持ち味だね」と周りから言われていた。昔から物事を俯瞰的に見る癖があったため、それがサッカーにも活かされているのかもしれない。

20代後半にベーチェット病を発症。ぶどう膜炎になり、目に注射を打ち続けた弊害で両目ともに白内障を併発した。そして、視野が広いねと言われていた当時の自分の面影は消え去った。30年近くも視野が正常の状態を生きてきたため、なかなかその習慣が抜けない。視野が狭くなったとしても、体は動きを覚えていると実感した瞬間だった。

サッカーはよく人とぶつかるスポーツである。この狭い視野では、納得のいくプレーはおろか誰かに迷惑を翔プレーしかできない。加えて、右目と左目の見え方が違うため、遠近感覚もおかしくなっている。自分ではうまく動けているつもりでもどこか感覚がズレている。もう昔のようにスポーツができない。どうして自分なんだろうと当時は己の運命を恨んでいた。

白内障の手術をした日からサッカーは観る専門になった、テレビ上で華麗に動く選手たちを見るたびにサッカーがしたいと思ってしまう。だが、現実と向き合うたびに落胆している自分がいる。サッカーができない体になったため、上京する前にサッカーボールを捨てた。ずっと持ち続けてしまうと、未練が残る。でも、捨てたところで何かが変わるわけでもなかった。目が見えづらいという現実は日常生活にも支障をきたしている。じゃあ観るのをやめればいいと考えた時期もあったけれど、できないからこそできる人たちのプレーを見たいのだ。彼らほど華麗な動きができていたわけではないけれど、かつての自分を投影している。もうサッカーはできない。だからこそ、自分ができる形でサッカーに関わりたいと考えている。

目の前の現実を嘆くのは簡単だ。すぐさま諦めて絶望に浸ることもできる。その選択をしないのは、前向きに生きた方が人生は楽しいと考えているためだ。一度限りの人生、絶望しながら生きるよりも今の自分に何ができるかを模索し続ける人間でありたい。とはいえ、自分の運命を嘆く日もあるのは事実である。これは昔の自分がサッカーができていたからこそ芽生える感情だ。仕方のないことで、時に下を向いたり、横を向いたりしながら最終的に前を向ければそれでいい。現状を嘆くのは前を向くための必要条件だ。その度に自分の手札を数え、大切なものに感謝しながら前に進んでいく。そうやって生きていくことしか僕にはできない。

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