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夢見る高円寺

高円寺の北口のロータリーの前で、男女二人組がギターを弾きながら歌っている。何かに取り憑かれたかのように、足を止めて演奏が終わるまで彼らの演奏を聴いていた。彼らはどのような思いで歌っているのだろうか。知る由もないし、知りたくもないのだけれど、足を止めてしまったのは何か理由があるのだろう。有名アーティストのコピーをしていた二人。物事には守破離があって、きっと彼らは守を実践している段階だ。そんな思いが頭を駆け巡ると、自身は基本をきちんと守れているのだろうかと雲行きが怪しくなった。

喫煙所がある場所のベンチには疲れ切ったサラリーマンが休んでいる。煙に塗れたあの場所で心身は休まるのだろうか。夢をみる人と疲れ切った人がいて、自分がどちらに転ぶかはまだわからない。それを横目に信号の先に昼から飲んでいる人たちがいた。とても楽しそうな雰囲気を醸し出して、今日も楽しいねと隣にいた人と肩を組み始める。微笑ましくなって歩いていると、商店街の前で集合写真を撮る大学生がいて、かつての自分の面影を重ね、なぜか急に虚しくなった。

高円寺を歩いていると必ず目に着く古着屋さん。右を見ても、左を見ても、街の至るところに古着屋さんがずらりと並んでいる。アメ村や京都など色々な古着が集まる街を練り歩いたけれど、高円寺の数は異常なほどだ。南口に集まる古着屋さんのジャンルはさまざまで、古着好きにはたまらない街である。古着屋さんが多いからか、街を歩く人も個性的な人が多い。似合う服ではなく、着たい服を着るを実現しているこの街は、日々の息苦しさを解放してくれるような気がした。

以前、友人が「高円寺のセカストはお洒落な人が服を売るからそこらとは質が違う」と言っていた。確かにあそこには一点もののデッドストックや個性的な服がずらりと並んでいるし、他とは画一的に何かが違って見える。

僕はTシャツを買うために高円寺に来たのだけれど、なかなかグッとくるものに出会えない。とにかく色々な店舗を巡った。棚に積み上げられたTシャツをディグる行為は宝探しに近い。そして、ついに直感でビビッとくるTシャツと出会えた。直感が働くあの瞬間は何度味わっても嬉しいものだ。僕は古着のジャンルや知識については詳しくなく、店員さんに古着のことを言われてもいつもよくわからないまま相槌を打っている。ただ好きなものを着たいという理由で、古着を着ているのだ。洋服は自分の気持ちを上げるもので、それ以上もイカでもなかったのだけれど、最近は知識をつけた方がより古着を楽しめるかもしれないと思えてきた。

その古着屋で出会った店員さんは、3月に福岡から上京したらしい。特に何かを話したわけではないけれど、黒目の奥から見える煌めきがなぜか羨ましく思えた。僕はまだ夢を見てもいいとすら思ってしまえるほどの美しさだった。結局、僕は店員さんのおすすめに乗せられて、お目当てのTシャツだけでなく、レーヨンのシャツも購入して店を後にした。

外はほのかに薄暗くなっていて、街のネオンがやけに眩しい。燻っていた何かが静かに炎を取り戻す。もしかすると、僕は彼の瞳の奥にかつての自分を見ていたのかもしれない。先日、居酒屋でまだもがいていい。諦めるにはまだ早すぎると言われたことをふと思い出した。特に大きな出来事があったわけではない。Tシャツを購入するために高円寺に足を運んだだけの話だ。でも、きっと古着屋さんで出会った店員さんの黒目の奥にある煌めきを僕はきっと忘れないだろう。そんなことを考えながら、帰路に着いた。


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