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文章と、共に、生きていく

フリーランスになって、早3年。ライターから始まり、広報や編集、エッセイ、コピーライティングなどに挑戦した。そのどれもがいまに活きており、点と点が線に繋がっているような気がする。

会社員を辞めざるを得ない状況で、いわば強引になったフリーランス。確定申告?請求書?契約書?本当に分からないことだらけで、途方に暮れる日もあった。仕事をしたのに報酬が振り込まれない。難病になって仕事ができなくなった。他にも様々な困難があったけれど、なんとか今日まで生き延びているのは周りの支えのおかげにちがいない。

文章を軸とした仕事の展開。文章を軸としている理由は、自分に一番できそうなことだったからである。新しい何かに挑戦する手もあったけれど、自分の中で一番できそうなことを選ぶなんて、実に自分らしいと思う。短所を減らす努力よりも、長所を伸ばそうと考えた。もちろん短所を減らす努力も並行して行なっている。でも、あくまで長所にスポットライトを当てているのだ。

たとえば長文を書いたあとに、「この文章を一言で表すなら」みたいなコピーを考える。その後、伝えたいことを絞り、適切なターゲットに届く文章かどうかを吟味するようになった。それは逆も然り、だ。どんな仕事も活用方法を変えてしまえば、新しい仕事に活かせる。そういう意味で、さまざまな視点を持つために、挑戦を続けていると言ってもいい。

「プロに勝つためにはその道のエキスパートを目指したほうがいいんじゃない?」と先日、言われた。もちろんそれは承知の事実である。でも、自分の中でどれを主軸にしたいのかがわからないのだ。逃げに聞こえるかもしれないけれど、いまはどれを主軸にするかを決めている期間だと思っている。

また企業との面談で、「5年後のビジョンはありますか?」と聞かれた。正直、5年後のビジョンなんて、ない。文章家としてのキャリアを考え、それっぽい言葉を伝えると、きっと見透かされていたんだろう。相手から返ってきた言葉に何も言えなくなって、本心を伝えるべきだったと後悔した。

「来年がどうなってるかも予想できないのに、5年後なんてわからない、いまはそれを模索している途中なんだ」と、正直に伝えるべきだった。取り繕った言葉はすぐに見透かされる。そう知りながらも、印象を良くするために、それっぽい言葉を並べた。ときには嘘も方便だけれど、この嘘は自分のためにも相手のためにもならなかった。

いや、相手に伝えた言葉は本心なんだけれど、本心じゃない。目指すべき道は正しいけれど、心の底からそうなりたいとは思わなかった。それは紛れもなく事実なんだろう。

この先、どんなキャリアを歩んでいくのか。その答えはまだはっきりしていない。でも、目の前の出来事に全力で取り組みたいって気持ちは本物だ。そこに嘘はないと胸を張って言えるから、この先もきっと大丈夫なんだと思う。

ちなみに自身が歩みたいキャリアは、文章ありきのキャリアだ。文章のない生活はとてもじゃないけれど、考えられない。寝ても覚めても文章について考えているし、もはや文章は生活の一部と化している。

文章に救われ、文章に殺され、文章によって生かされているのだ。文章はときに楽しく、ときに辛いものである。それにどんな文章も心の状態によって、受け取り方が変わるのも面白い。それは逆も然り、だ。

僕は文章にハマっている。だからこれから先も文章と、共に生きていく。

それ以外のことはまだ何も決まっていないし、人生は長いようで短い。だから、正直焦りもある。ネガティブ要素は捉え方を変えてしまえば、強い見方と化す。焦りさえも味方につけて、これから進みたい道を模索しながら、納得のいく生き方をしていようと思う。

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