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中野の中心で何を叫ぼうか

中野の中心部をさすらうように歩いている。どこを見渡しても視界の先には人と建物が広がっていた。都会にやってきた高揚感はあれど、拭いきれない不安がぎゅっと胸を強く締め付けるのもまた確かな事実であった。

駅前に集まる民衆たちは自分の行き先を理解しているのだろうか。問うてみたくなることはたくさんあれど、ここは東京である。大阪と違って、知らない人にいきなり声を掛けるわけにはいかない、掛けられることもない。中野はどこも人が多くて、うかうかしていると荒波に揉まれてしまいそうになる。

その場から押し流されてしまわないように、地面から足が離れてしまわないよう力を込めた。片方の足を前に出せば、もう片方の足が自ずと前に進む。荒波を掻き分けながら進む足並みは少しばかり不安定で、中野という都会に畏怖の感情を抱いているのが手に取るようにわかる。高層ビルに囲まれるこの街はどこを歩いても、どこかから視線を感じて身動きも取れなくてもどかしい。Googleマップという指針がなければ、どこにも行けないほどにこの街にまだ自分の体が馴染んでいなかった。

過ぎゆく街の景色を気が済むまで楽しみたいとは思いつつも、ベーチェット病によって失った視野がそれを邪魔する。以前の自分であれば、もっと景色を楽しめたのにと、呆然と立ち尽くす。視野が欠けて生活が変わった。受け入れたと思っていた視野を失った事実が突然襲いかかる。目の前が真っ暗になって、うまく前に進めない。もう二度と取り戻せない残酷な事実が、前に進んでいたと思っていた錯覚が希望のかけらすも見えない現状を作り上げる。

今の自身に残っているものはなんだろうか。視野を失ったからこそできることは、前を向きたいという感情が失ったものを数えるなと語りかけてきた。希望の見えないトンネルを彷徨う時間はあまりに辛いものがある。希望とはもう二度と出会えないのではないかと思ってしまうほどに。それでも必死に前に進む。絶望が希望に変わるまで中野という都会を一目散に掻き分ける。ひとしきり落ち込んだあとに芽生えた感情は確かに希望だった。人は人によって救われる。それは自身が自身によって救われるも含まれているのだ。

たまには後ろ向きになってもいい。後ろを振り返ることでしか見えない希望もある。それに後ろを振り返るという事実は自分に襲い掛かった残酷な過去を受け入れなけらば前に進めないのだから。圧倒的な前向きもいいのだろうけれど、根拠のない前向きは困難を前にした瞬間に打ちのめされる。前向きに根拠を持つことが、自身にとって大きな前進ができるきっかけとなるのだ。自身は自身で救え。どれだけ時間が掛かってもいい。それが自身に課せられた使命であり、最大限できることだ。

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