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辺境文学

大学時代に内田樹の『日本辺境論』という本を読んで妙に納得した。そうか日本は辺境だったんだ。文字は中国から伝わってきたし、明治以降はフランスやドイツのヨーロッパにいろいろ学んで追いつけ追い越せだったわけだよね。ずっと世界の中心から外れたところにいたんだ。日本は。今だって「海外だとこうなのになんで日本は・・・」みたいな言い方を耳にすることがある。それもまあ、意識はしていないけど辺境だからじゃないかな。逆に「日本が世界の中心です!」と言い始めるときは気をつけた方がいい。八紘一宇とか言って支配を始めちゃうから。

自分の実家は福岡県でも大分県との県境にある山奥の村にある。それはもう見事な辺境で携帯電話が普及し始めたときにも電波が全然届いていなかった。だからだろうか、辺境を題材にした文学が昔から好きだ。大江健三郎は愛媛の山奥を舞台にしたし、中上健次は紀伊半島の隅っこを、石牟礼道子は水俣に暮らす人たちを小説にした。辺境は時代の流れの中心じゃない。だけどそこにも生きている人がいて生活している人がいるんだよな。小説のちからは、そんな中心にいない人たちを時代の真ん中にもっていけることだと思う。

そんなわけで今はね、チベット文学を読んでみたいと思っています。


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