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文字の罠。

 夜と朝が折り合いをつけた頃に目覚める。
 海の近くに住んでいたなら、寝起きのぼさぼさ頭も眠気まなこもそのままに外へ出て、何の気も無しに海を眺めていたいけれど、近くに海なんか無くて、でかめのトラックが通るたびに震える家、ここは。

 身体を起こしてみると、黒いベッドシーツがずれてマットレスが十センチほど見えている。けれど、それは三日前からの事。それよりも、もしホテルのような白いベッドシーツを使っていたら、目覚めた私は自分を、夏の夜の間中濾過され続けた挙句、濾紙に残った残滓のように思ったかもしれない。

 こんな目覚めは、書かなければ「目覚め」の一言すらも無く終わってしまうようなこと。本当の事ではあるけれど、付け加えた数々の言葉が過剰で、主観のようで客観、私が私を覗いている状態に近いかもしれない。或いは過去の改竄とも言えるかもしれない。

 現実をそのまま文字にしても、その綴られた文字から立ち上がる現実は決して同じにはならない。文字だけでは圧倒的に情報が足りない。だから文字にすれば嘘になる。けれどそれ故、文字は現実を軽々と越えてゆくことができる。文字が新たな現実を生み、現実の部分は少しずつ塗り変えられ、夢のような景色を余りにも現実的な現実に見る。目の当たりにする。

 生活の中で、誰もが文字を綴っている。文字の意味は、今にも裏返りそうになりながら、私たちの方に時折目を向け、罠として現前する機会をひそかに窺っている。

活動の源になります……