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嫌われ者への賛歌

大人を何年か経験すると、どんなことをすれば人に嫌われるか大体わかってくる。

だから、ぼくたちはできるだけ人を不快にさせないように、本音をオブラートに包んだり、建前でやり過ごしたり、いろいろと工夫を凝らす。肚にある感情や思考を、緩衝材でくるんで、包装紙できれいにつつみ、リボンまでつけて相手に届ける。それが、社会でうまくやるために大事なことだから。

そういうことを学びながら、だんだん人は丸みを帯びていく。にもかかわらず、嫌われる人がいる。わかっているのに、我関せずと嫌われる。「角が立ってていいな」と思う。自分を曲げてまで好かれようと思っていないところに好感が持てる。

おもねらないから嫌われる。迎合しないから嫌われる。忖度しないから嫌われる。思ったことを感じたままに、包み隠さず本音を述べ、自分に嘘をつかないから嫌われる。そんな嫌われ者のあなたが好き。

本当はみんな、誰かにおもねったり、迎合したり、忖度している自分のことが心底嫌いなんだ。社会の中でなんとかうまくやるために、我慢してお世辞を言ったり、おべんちゃら言ったり、顔色をうかがったり、ペルソナのご機嫌ばかり伺って暮らしている。自分のために少しくらい嫌われてもいいんじゃないかな。全員に好かれることなんて不可能なのだから。

人は他人がポジティブでも腹が立つし、ネガティブでも腹が立つし、控えめであっても腹が立つし、しあわせそうでも腹が立つし、げんなりじめっとしていても腹が立つし、腹が立っていても腹が立つから。腹を立てている他人のことは、そんなに気にしなくていい。

自分に嘘をつく数を今より少しだけ減らしてみる。自分の感情に素直に。こころやからだに耳を傾ける。自然体でいい。

それでいい。

嫌われ者よ、くよくよするな。

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