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自信はなくとも、勇気は出せる

手に持ったゴミを捨てたい時のことを思い浮かべてください。

目の前には川が流れています。清掃されたきれいな川よりも、ゴミであふれた汚い川のほうが、人は「ここに捨ててもいいか」と思いやすい。それは、ことばも同じです。汚いことばがたくさん投げられているのを見かけるとと、人は「ここだったら投げ捨てても構わない」と思ってしまいます。そうならないためにも、一歩目として自分が自分を貶めるようなことばを使わないことが大事です。

“自分”をゴミ溜めにしないこと。埃や塵が出る度にきちんと掃除する。空気の入れ換えをしながら、きれいに保つことを心がける。そうすると、外からゴミが投げられることも減ります。「自己肯定感を」とプラスのことを考えるより先にマイナスの部分を管理するだけで、周囲から大切に扱われるようになります。

人の話を聴く仕事をしているからか、よく人から相談を受けます。

「自分に自信がないのですがどうすれば良いでしょう?」

そういう人たちの多くは「自分なんて」「全然ダメ」「嫌われている」と自分に向けてゴミを置くようなことばを使っています。「まずそれを止めたほうがいい」とわたしが指摘しても、相談者はピンと来ていません。無意識で口にしてしまっているのです。知らないうちに、“自分”という建物の居心地の悪さを自分の手でつくり出している。

それで「好きな人に相手にしてもらえない」とか「なぜか人が離れていく」とか言ったりしています。居心地が悪いからあたりまえなのですが、本人は気付いていません。その状況を嘆くなら、まずは溜めているゴミを整理していったほうがいい。

別に自信がなくてもいい。不安と一緒に過ごせばいい。不安から逃げているから卑屈になります。解決の糸口を探ってみる。小さくてもいい。現状を一つでも良くする方法を発見する。勇気を出して試してみる。自信はなくとも勇気は出せます。その試行錯誤の数と小さな成功体験の積み重ねが自信になっていきます。

“謙虚”と“卑屈”を一緒にしてはいけません。謙虚は自信を包み込むもので、卑屈は目の前の希望や不安からただ逃げているだけの状態。それをごまかすために、「自信がない」ということばに隠れようとしているのです。「自信がないから、自信のないことばを口にしてしまう」と尤もらしい言い訳で自分を納得させています。

そうではなく、自分の抱えている課題と向き合う勇気がないだけ。目の前の問題から目をそらしているだけ。自信がなくても向き合うことはできます。勇気と知恵の蓄積で、ゆっくりでもいいから自分で自信を育てていけばいい。不安はずっとなくなりません。でも、その不安と向き合い続けることが上手になれば、不安さえも自分の糧となります。

そうやって、“自分”という建物をつくっていく。誰かが訪れた時にも、自分なりのおもてなしができるくらいになるといいですね。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。