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吉田健一「詩と近代」小澤書店


最初に「詩を読む会」を主宰しようと思ったとき、私はすでに「詩」の中に「小説」を含むことをイメージしていた。

その前に、「詩を読む会」は、私が好きな文章を、私以外の誰かと楽しむ、という目的で行うものだ。楽しむ方法は、音読だろうと考えている。

だから、この「詩を読む会」は、一種の、集、collectionを作ることも傍らの大きな目的だ。
愛好する文学作品を私が選んで、参加者はその中から選んで音読する。
勅撰和歌集ならぬ私選文学断片集である。
後世、例えばどこかの批評家が、ある文学作品を評したあと、「ちなみに」とつけて、「これは佐藤浩子のThe Collectionに選ばれている。」などと言われたい。

したがって、集、あるいはthe collectionをパラパラと見た人に参加したいなと思ってもらえないと、永遠にこの会は始まらない。

今はこの計画がスタートしたばかりで、いったいその集がどんなものになるのか、自分でも予見できない部分があって、毎日楽しくて仕方がない。

ということで、「詩」に「小説」が入るという話題に戻るのだが、
元来小説が好きで読んできたので、名文を衝撃とともに読んだという経験がたくさんあり、小説に関してはあれもこれもとアイデアが止まない。
名文の泉のことを、石川淳が「普賢」で「詩嚢」と言った。
それで漠然と「詩を読む会」にしている。
何日かあとには、「詩や小説を読む会」にしているかもしれない。

そんな今日このごろ、吉田健一の「詩と近代」からの一節を、集、the collectionに入れようと思った。
もうすでに、詩でも小説でもなくなってしまう。

集、The collection の第1は、吉田健一の「ヴァレリィ」(「詩と近代」)にした。


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