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real LIFEを走り始めるために。

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30代の手帳のメモが見つかり、書き起こし中の日々。有名私大を卒業。新卒で大手企業に入社。サラリーマン人生を歩み、30代でつまずく。大きな痛手となった30代を振り返り、深い傷を受け… もっと読む
このマガジンの記事は、基本無料で読めて、最後、良かったら投げ銭をいただくスタイルですが、しばらくし… もっと詳しく
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#日記

「沢木耕太郎」をテーマに、また書き始める前に。

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Ryo Chiba
5年前
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SAAB900。その助手席の女性、通り過ぎた街。(最後に)

彼女が母親と個展を、神楽坂のギャラリーで開催していて、自宅の工房で作業しているまだ作り上…

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Ryo Chiba
5年前
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SAAB900。その助手席の女性、通り過ぎた街。(3)

彼女がSAAB900の助手席に座っていたのは、都会でのドライブだけではない。小淵沢のリゾート…

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Ryo Chiba
5年前
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SAAB900。その助手席の女性、通り過ぎた街。(2)

この16Sとの出会いのあと、無事気に入った1台目を購入し、そのクルマとの思い出も沢山ある…

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Ryo Chiba
5年前
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SAAB900。その助手席の女性、通り過ぎた街。

同じクルマを2台乗り続けることは、あまり普通の人はしなさそうだけれど、1台目がどう修理し…

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Ryo Chiba
5年前
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イタリアンスタイルPastel−そして、この街にもいたカルチャーリーダー。(最後に)

Pastelは、残念ながらもう閉店してしまったけれど、チーフという人がいたこと、Pastelというお…

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Ryo Chiba
5年前
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イタリアンスタイルPastel−そして、この街にもいたカルチャーリーダー。(3)

チーフは、自分がもう着なくなった裏原宿や中目黒系のアパレル限定品のTシャツ500円セールを50枚、お店のテーブル全てを使って開催したりするようなこともできる人だった。そのTシャツの並べ方もたたみ方も工夫されていて、Pastelが、まるでアパレルのセール会場のようになった時もあったのが懐かしい。チーフはその手のブランドのフォロワーを増やす役割も担っていて、例えば、彼がGeneral ResearchのTシャツを着ると、ファション好きの常連客が真似して着始め、Over The S

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イタリアンスタイルPastel−そして、この街にもいたカルチャーリーダー。(2)

Pastelの料理について、もう少し書きたい。たまにメニューの入れ替えはあったが、代表的な料理…

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Ryo Chiba
5年前
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イタリアンスタイルPastel−そして、この街にもいたカルチャーリーダー。

自分の住んでいる地域は、最寄り駅前など、比較的お店が集中している場所でも個人経営のお店が…

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Ryo Chiba
5年前
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30代のお酒の嗜み、バー文化とそこにある音楽。(最後に)

神谷さんは、3丁目MODの思い出よりも、銀座6丁目の裏路地に作ったお店、通称「裏MOD」での思…

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Ryo Chiba
5年前
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30代のお酒の嗜み、バー文化とそこにある音楽。(3)

話は変わって、ひとつ触れておきたいのは、女性のバーテンダーの存在。MODは、のちに銀座6丁…

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Ryo Chiba
5年前
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30代のお酒の嗜み、バー文化とそこにある音楽。(2)

MODに通うようになり、1ヶ月もしない頃に、同年代くらいだろうか、ひとりで飲みに来ている女…

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Ryo Chiba
5年前
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30代のお酒の嗜み、バー文化とそこにある音楽。

30代というとちょっと違って、厳密には会社を初めて休職していた29の頃に、生まれて初めて…

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Ryo Chiba
5年前

心の病と対処療法、今、書けることの幸せ。(最後に)

今、思い出すと、精神科入院というと、外界から檻で隔絶された閉ざされた世界を想像していたが、(実際、院内の美容室で髪を切ってもらったり、コンビニで好きなお菓子を買って食べたり、併設のレストランでカフェラテを家族と飲んだりetc.)至って、内科などとあまり変わりのないような入院生活だった。もうちょっとあまり普通の人が経験できない貴重な体験を書けるかなと思って書き始めたが、膵炎の治療の方が大変だったという認識ばかりが思い出されてしまうので、精神科という入院治療については、もうこんな

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