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試行錯誤

先日、文章を書いている友人が、「アイデアはあるけど形にできない。文章化できない。」という事を言っていて、はてこれはどういう事だろうと、考えた。

中上健次の「問答無用」という人生相談集に、これとよく似た質問に対する中上健次の回答が載っている。中上らしい熱意ある回答であり、僕もその回答に基本的には同意する。

その引用は、長くなるのでここには載せないが、その回答を下敷きにして、自分なりに考えた。

基本的に僕は、アイデアは文章化できる。形にできる。
しかし、上手く言葉にできない時期はあった。それでも、自分なりに文章や言葉と格闘してきた経緯がある。
日記は断続的だが20年位書いてきたし、お喋りも訓練した結果、昔よりだいぶ喋れるようになった。ネット上に文章もぽつぽつ上げてきた。
それでもやっぱり、文章は難しいし、お喋りも難しい。
書いてきたものは、その試行錯誤の歴史である。

絵や音楽や工作と、同じ事だろうと思う。
僕は中学生の頃、美術の時間に、「大まかなテーマをもとに、好きなように描きなさい」という課題をもらって、ひどく困った事があった。
その時に、頭の中にイメージできたものはあったが、絵としては作り上げられなかった。イメージできたものと、実際に描いた絵との間に、大きなギャップがあるように感じられた。
友人が感じていた事も、このような事ではないかと思われる。

しかしこれは答えは単純で、絵を描き続けて、少しずつでも上達していくしかないのである。
僕は子供の頃から、絵を描く、という遊びをあまりしてこなかったので、中学生になっても上手く描けなかった、というのは、当然の事なのである。

ちなみに僕は大人になってから、暇つぶしで絵を描き始めるようになった。その時気付いたのは、絵を描くのは、単純に楽しい、という事だった。傍から見たら稚拙な絵かもしれないが、自分なりのやり方で上手く描けた時は、単純に嬉しいし、楽しいのである。
それもやっぱり、試行錯誤だ。そうやって描いてきたものが、スケッチブックに残っていく。

頭の中に浮かぶアイデアは、そんなに大したものでは無いのではないか。
アイデアを基に、手を動かし足を動かし、作ってきたものが、残っていくだけ、という気がする。
もっと言うと、それだけでも弱いだろう。文章やモノに対する熱意や愛着が無いと、そもそも何か作り上げる事は難しい。

そして、どこまでも試行錯誤だ。
森博嗣は作ったものを、「残骸」と呼んでいたが、その通りだと思う。

試行錯誤して文章やモノと格闘した結果、たまに、ちょっと良いものが出来る。
そういう事ではないか?



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