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秘密の授業:大学生が休学するべきワケ〜海外留学編#留学準備〜


行きたいと思ったきっかけ


そんなタイトルを掲げておいて、きっかけは本当に覚えていない。不思議だ。

ただ覚えているのは中学、高校くらいで日本というちっぽけな国で一生を終えるのは嫌だと思っていたこと。

そして、働き出したらなかなかそういうチャンスは無い、大学に行ったら絶対に海外に行くという漠然とした目標だけ心に持っていた。

私の学部では、大学に入る前の課題で10月から入学までに何を頑張ったかというのを発表しないといけなかった。
それも英語の勉強(全然してない)と建前上していたのもそういう意識があったのだろう。

入学してすぐに話を聞きに行こう


入学してすぐに、先輩からアドバイス貰える機会があり、「留学するために英語のクラスに入りたいんです」と相談してみた。しかし、「そういう先輩は聞いた事ないし、実習とかで忙しいからこの学部では無理だと思うよ」と言われた。

当時から天邪鬼だった私は、そんなの関係ないと学部では1人だったが英語のクラスに入ろうと申請しに行くも、その授業は英米学部しか取れないクラスで先輩の言った通り無理だった。笑

ちょっとした海外体験


出鼻を挫かれ、少しずつ気持ちが離れていった時の10月?くらいに学部生10人くらいを募ってカンボジアツアーに行くイベントの告知が来た。これを聞いた時に息を吹き返したようにモチベーションが蘇ってきて、すぐに申請した。それもあってか、教授から選ばれた1人としてカンボジアに行けるチケットを確保し、7日間の生活を堪能した。

もちろんそれもとても勉強になったし、新たなコミュニティも出来た。ただ、7日間じゃ足りないとも思った。

今でも何故か覚えているのは、帰りの飛行機で上からカンボジアを見た時に「絶対にまた帰ってこよう」と思ったこと。

なぜだろう。その時にもうカンボジアなんて来ないだろうと思ったからだろうか。

「また帰ってこよう」と思った気持ちだけが残っているのは不思議でならないが、この思いが回収される日が来るかもしれないと思ったので、ここに
残しておく。

留学の先行きが怪しくなる


その後、コロナが来てしまい、海外留学のハードルは大きく跳ね上がった。
留学予定の先輩たちもことごとく中止となっていた。

とはいえ、当時大学2年生の私の気持ちはこうだった。

英語を学びに行きたいんじゃない、海外の色んな経験をして将来の選択肢を広げたいんだ

だから、語学留学にはどうも魅力を感じず、コロナ中でバックパッカーしようかなと無謀な考えにも至り、悩んでいた。

色んな相談をするなかで多かったのは「目的の無い留学に意味はない」だった。

間違ってはないが、留学した今の私からいうと間違いでもあると思う。

「なぜ海外に行きたいのか?」「海外にこだわる必要があるのか?」「何をしたいのか?」
そんな事ばかり聞かれ、その答えを出そうと考え悩んでいた。

そんな時に思い出したのが、1年の時、フットサル一本でやるのか、サッカーのコーチをするか迷っていた時に貰った先輩からの言葉だった。

よし、もっと色んな人に意見を聞こう。絶対その中に答えはあるはずだ。と思い、ゼミの先生に相談してみた。

フォルケホイスコーレ


そこで得た情報がデンマークのフォルケホイスコーレだった。

通称、「大人の学校」とも言われるこの学校で、人生を見つめる時間を共同生活を通して学ぶ。

日本には無い感覚、学校で凄くビビッと来た。また、学校の名前も「International People Collage
そんな所にも惹かれたのだろう。

ただ、現実は甘く無い。先輩のツテもエージェントも無い中で模索しながらの応募になった。

英語力も無かったから、自分のエッセイをGoogle翻訳して、外国語学部の友達に見てもらった。その友達もたまたまイベントで知り合い協力してくれたとても良い奴だった。

心がへし折られる


現実は甘くない。「2度の落選」を経験した。

後から知ったのだが、その学校の日本人応募者は多く、落ちる生徒も多かったらしい。また、コロナの影響で前学期に入りたかった生徒も集結していて、合格を貰えるのは困難だったらしい。

そんな事を見ず知らず、一度落ちてるから次は入れてくれるだろうと安易な気持ちでいた。

休学のタイミング

1度目で落選した時点で、就活の時期と被ると思い、休学という選択をする。

当時、大手企業に入りたいという気持ちが強く、最低でも3年の1月から始めたかったのだ。

休学という選択に対して、周りから「凄い勇気だね」とか言われたが、そんなに悩んだ記憶は無い。とても合理的な選択だったし、お金がかからないから親の事を考えても心配ないと思った。

留学行けなくね?


話は戻って、2度目落ちた時は本当に落胆し、どうすればいいか分からなくなった。休学して海外に行くと周りに言いふらしていただけに、本当に焦った。でももう最終手段だと思い、落とされた学校の担当者にメールを送り、「どこか他のフォルケホイスコーレに空きは無いか教えて欲しい」と言った。

すると、意外にもすぐに返信が返ってきて、その学校が実際に私の通った「Boseiフォルケホイスコーレ」を紹介してくれた。

スポーツがメインの学校だったから、学びは少し足りないかもだけど、みんなと仲良くなれそうだなと感じて決定した。

プランが定まった


フォルケホイスコーレではディスカッション形式であると聞いており、予定と違った秋セミスターからのスタートになったので、4月から7月までを語学留学に当てようと考えた。

これは時間も余裕も無かったので、エージェントに全振りして、費用の安い、ヨーロッパ旅行が出来るマルタ共和国に決定した。

  • 4〜7月 マルタ共和国

  • 8~12月 デンマーク

  • 1月~ 就職活動

なんだ結果的に完璧なプランになったじゃないか!


次の章で実際に経験した留学の話になる。マルタとデンマークそれぞれ大きな学びがあった。

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