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【ショートショート】カラーコンタクトマン

「彼って、カラーコンタクトマンなのよね」
 観覧車に乗っている時、彼女が突然そう言った。しみじみとした、感慨深げな言葉に、僕はどう返すのが正解だったのだろう。
 そもそも、二度目のデートで観覧車になんか、乗るんじゃなかった。僕はあまり口の達者な方じゃない。ましてや、彼女と狭い空間で二人きり。緊張のあまり、何を話せばいいかわからなくなってしまった。それに加えて、自分が高所恐怖症だったということに、ゴンドラに片足を掛けた瞬間、気が付いた。散々並んだ後で、やっぱりやめようなんて言えるわけもなく、眼下に広がる風景をひたすら視界から締め出す努力をしていた。
 一方、彼女はと言えば、僕が気持ち悪くなっているなんて気付く様子もない。それどころか、観覧車に乗った瞬間から僕に背を向け、外の景色を眺めながら独り言を言っている。
「観覧車に乗りたい」
 デートの最中にそんな風に言われれば、二人きりになりたいのかな、と思うだろう。その期待が過剰だっていうなら、僕にも罪はあると思うが、こればっかりは予測不能だ。
「まもなく、観覧車が最上部に到達します」
 突然の放送。ロマンチックな雰囲気になっていたら、最悪の水差し体験となったことだろうが、僕たちには関係なかった。どころか、その放送を聞いた瞬間、動悸がしてきて手の平に変な汗をかき始めた。
 その時に彼女は突然、そう口にしたのだ。
「彼って、カラーコンタクトマンなのよね」
 ぎょっとした僕は思わず顔を上げてしまった。視界に広がる超高層の世界に、そのままぶっ倒れそうになる。後頭部を、後ろの窓にぶつけたおかげで、どうにか意識が保たれた。
「彼って、誰のこと?」
 それが、単なる代名詞なのか、大切な誰かを指す表現なのか、公園とかレストランにいたら聞けていなかったかもしれない。地上百メートルを超える場所で、頭がくらくらしていたから、何の警戒心もなしに率直な疑問が口をついたのだ。
「カラーコンタクトマンって言ったじゃない」明らかにいらだっている。全然、答えになっていないのに。
「それなら、カラーコンタクトマンは誰なの?」
「彼だって言ってるでしょ。話、聞いてる?」
 もしかして、すごく有名な人なのだろうか。だとしても、二度も質問しているのに、情報がまるで増えない。これでは、無意識の網に引っ掛かっていたとしても、拾い上げようがない。アプローチを変えてみよう。
「ああ、カラー・コンタクトマンね」
「え? もしかして分かってない? カラーコンタクトマンだって」
「だから、カラー・コンタクトマンでしょ」
「違うって。カラーコン・タクトマンだって!」
 思ってもみないところで音が切れた。タクトマンって言った? 指揮者か何か?
「そっちか! タクトマンね」指揮を振るような身振りを、ほんの少しだけ入れる。これで、タクトマンが、「タクト」プラス「マン」かどうかが分かる。
「何、バカにしてる? タクトさんのこと」
 まさかのタクト、人名! 拓斗だか卓人だか、なんだか知らないが、人の名前に「マン」は付けないだろ。
「もしかして、本当に知らないの? タクト・ヨウヘイのこと」
 おっと、下の名前じゃなかった。あれだ、キン肉スグルがキン肉マンなのと同じだ。
「知ってるに決まってるだろ。君こそ、カラーコンが何か、分かってないんじゃない」
「あ、そういうこと言う? カラー・コンダクターでしょ。ケンカ売ってる?」
 結局、指揮者だった。もう何がなんだか分からない。だったら、なんで指揮者の身振りがあんなに否定されたんだ。まさか、コンダクターはコンダクターでも、ツアーコンダクター的な?
「あの襟、たまらないのよね」
 カラーが違った。襟のコンダクターってどういうこと?
「まもなく、地上に到着します」
 再び唐突な放送。気が付けば、高所恐怖症のことを途中から忘れていた。扉が開かれ、彼女は僕などいなかったかのようにさっさと降りてしまった。
「ありがとう。素敵な襟だったわ」
「こちらこそ。お声がけいただき、ありがとうございます」
 観覧車の係員に彼女が声をかけている。
 思わず襟に目が行った。乗る時に気付かなかったのが不思議なぐらいだ。確かに、これはカラー・コンダクターだ。まいった、そうとしか表現のしようがない。彼のカラーに気付かない程、ゴンドラに乗り込む前の僕は気が動転していたということだ。
 いや、まったく、申し訳ない。

Photo by Hugo Clément on Unsplash

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