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諦めの自分史

人生は諦めの繰り返しである。夢を諦め、成功を諦め、恋を諦め、勝利を諦め……大小様々な諦めを重ねて人は生きるものだ。人生を振り返ることは諦めを振り返ることと言ってもいいかもしれない。

演劇をやるために上京してから、大学の演劇学科の最初の授業、先生は最初に、「演劇で稼ぐことは諦めなさい」と言った。演劇で食っていけるのは極わずかな人たちだけ、ほとんどの人たちはバイトをしたり他に仕事を持ったりして続けている、と。夢を追う若者に現実を伝えただけなのかもしれない、そう言うことでなにくそ!と奮起を促そうとしたのかもしれない。しかし純朴な植野少年は素直に演劇で稼ぐことを諦めてしまった。なんだかんだと演劇を続けてはいるが、あの時の諦めが今も根底にこびりついている。

彼氏がいる女性の浮気相手に収まっていたことがある。何度目かの逢瀬のあと、彼女は僕に、「私はあなたのことが好きだし一緒にいたいと思うから一緒にいるけれど、最終的には彼のところに戻ると思う」と言った。今思えば、そんなこと言うなよ、俺のものになれよ待ちの言葉だったのかもしれない。しかし若き植野青年にはそんな恋愛の機微は分からなかった。分かった、それでいいよ、一緒にいてくれてありがとう。素直な気持ちを誠実に伝えたつもりだったけれど、今思えばあれはたぶん諦めだった。あの時の諦めが今の自分の恋愛観を形成したと言ってもいい。

何かを成したことが人格形成に影響するのと同じくらい、何かを諦めたことが今の自分を形作っているなと思う。何をいかにして諦め、諦めたことに対して自分の中で折り合いをつけ、諦め切れない気持ちをまた諦める。そうやって諦めを重ねてきた果てに形成されたのが今の自分だ。そう考えるのはなかなか興味深い視点だなと思う。

人生で最初に諦めたのは何だっただろうか?棚の上に飾ってあったおもちゃに手が届かなかったあの時、いやもっと前、ワンワン泣いてもお母さんが構ってくれなくて、疲れて泣き止んだ時かもしれない。あの時からずっと何かを諦め続けてきた人生だったなと思う。それでも傍から見れば、僕は夢を諦めずにしがみついている人に見えるんだろうなと思うのは面白いところだ。

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