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たんけんぼくのまち

僕の名前は『龍二』という。あまりに男男している名前である点はほんのちょっとだけ嫌なのだが、基本的にはいい名前だと思って気に入っている。そしてペルーの片田舎に、僕と同じ『リュージ』という名前の町があることを知ったのは、確か僕が小学生の時だったと思う。

僕は僕と同じ名前を持つその町に強い興味を持った。どんな町なんだろう?どんな人が住んでいるのだろう?その興味はいつしか憧れに変わり、僕はいつかきっとリュージに行ってみたいと思うようになった。そしてその夢は、大学3年の夏休みに実現することとなった。

僕にとっては初めての海外旅行だった。アルバイトで貯めたお金で旅行代理店に行って希望を伝えたが、当然そんな何もないところに行くツアーなんかは用意されていない。代理店のお姉さんが親身になって相談に乗ってくれて、何とか飛行機のチケットと宿は予約することが出来た。パスポートを取ったのも初めてだし、何なら一人で旅行に行くのだって初めてで、旅行慣れした友人にアドバイスを貰ってドタバタと旅の荷物を用意した。当時は日本からペルーの直行便はなく、アメリカのアトランタで飛行機を乗り継ぎ20時間。ペルーのリマにあるホルヘ・チャベス国際空港に到着する。そこから国内線でプーノ県フリアカのマンコ・カパック国際空港へ。さらにそこから電車とバスを乗り継ぐこと4時間、ようやく僕は憧れの町リュージに到着した。

リュージは本当に何もない小さな町だった。人口は2000人程度。町の中心地には商店やパブや診療所もあったが、それ以外は山間の農地の間にまばらに家があるだけの町だった。プリントして持ってきていた地図を頼りに町で唯一のホテルに向かう。『HOTEL』と書かれた古びた看板の文字を見落としていたら気づかないような、小さな建物だった。チェックインを済ませて少し休んでから外に出てみる。とは言えメインストリートも100メートルもないような町で、あっという間に町の中心地は回り終わってしまった。ホテルの隣にあったパブ兼食堂のようなお店で夕食を摂る。何だか分からない肉を焼いたものと、じゃがいもと、トウモロコシの粉を練ったパン?ナン?のようなものが出てきた。肉は少しボソボソとしていたが、香辛料が効いていて旨かった。その日はそのままホテルに戻って休んだ。

朝食はスクランブルエッグとマッシュポテトとパンとコーヒーのアメリカ風モーニング。何故こんな朝食のことをわざわざ書くのかというと、それぐらいしか書くことがないからだ。町の人たちはこんな町にやってきたアジア人観光者に対して疑い深く、ことさら邪険にされたわけでもなかったが、僕は下手くそな英語しか使えず、町には英語を話せる人は少なかったこともあり、テレビの旅番組で見るような心温まる交流のようなことは何もなかった。2日目から早速暇を持て余した僕は、町をぶらぶら歩き、山をぼんやり眺め、狭いホテルの部屋でぐうたら過ごし、よく分からない肉とじゃがいもとパンを食べ、夜は変な味のお酒を飲んだりした。そうしてリュージでの3日間はあっという間に過ぎ去った。

最後の夜、夕食を食べていたパブで居合わせた家族と少し話して仲良くなった。僕がリュージという名前だと分かると、家族はゲラゲラと大声で笑ってビールを奢ってくれた。出鱈目な英語と、あとは手帳に絵を描きながら、僕らはお互いのことを喋り合った。初日から食べていた何だか分からない肉がアルパカの肉だと聞き、僕は目ん玉が飛び出るくらい驚いた。最後の夜に現地の人との思い出が出来たのはとても嬉しかった。ほろ酔いで宿の部屋に戻った僕は、窓から外を眺めた。真っ暗になったリュージの町と、満点の星空。その景色を僕は一生忘れないと思う。

行きと同じく30時間程かけて東京に帰って来た時には僕はくたくたになっていた。疲れから風邪を引いて発熱し、変な伝染病でももらって来たかと思って病院に行っていろいろ検査したりして大変な目にも遭った。それも含めて、今となってはいい思い出だ。リュージの町の入り口で、『リュージ』と書かれた看板と一緒に撮った記念写真は、今でも部屋に飾っている。

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