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狂い咲き

季節外れの花が咲いてしまうことを『狂い咲き』という。いつものように家で酒を飲みながらテレビを見ていたら桜の狂い咲きのニュースがあった。1本だけ満開になった桜の木。それを見て俺はギョッとした。そこは、俺が堂島を殺して埋めたところだった。

桜の木の下には死体が埋まっている、なんてことを言われたりする。特にそんなことを意識したわけじゃあない。たまたま手近な、たまたま人目につかなそうな場所として思い当たったのがあの桜の木の辺りだったというだけだ。見事に満開になった桜の花を見ようとたくさんの人が集まっている様子がニュースに映っていた。一気に酔いが醒めていくのを感じた。もしも死体が見つかったら……不安をかき消すためにもう1缶ストロングゼロを開けて呷った。

不安から逃れられぬままに浅い眠りに着き、朝早くに目を覚ました俺は、そのままあの桜のところまで向かった。行ったところでどうなると言うのだ。むしろよりリスクが高まるんじゃないか。でも俺はどうしても現地に行って確認したいという衝動を抑えられなかった。車はもうない。俺は久しぶりに電車に乗った。

『そこ』に行くのはちょうど10年振り、あの日堂島の死体を埋めた日以来のことだった。アイツのせいで自殺未遂をした姉は、今もまだ病院のベッドの上にいる。俺は何も悪いことをしたとは思っていない。アイツは死んで当然のやつだった。俺はただそれをやっただけだ。それなのに俺もこんなに苦しんだ。アイツを殺して以来、酒を飲まねば眠れなくなった。髪は抜け、目元は落ちくぼみ、まだ32なのに50過ぎのジジイみたいな見た目になってしまった。仕事も続けられなくなった。当然女もいない。生活保護で家賃3万8000円の安アパートに住み、毎晩の酒と、コツコツ金を貯めて半年に1回行く風俗だけが楽しみなクソ人間に堕ちてしまった。それもこれも堂島のせいだ。どこまで俺たちを苦しめれば気が済むんだ。怒りに震えながら電車を乗り継いだ。

再開発が進んだ駅前は10年前とはすっかり様子が変わっていた。つい最近出来たらしいコンビニで500mlのレモンサワーを買ってちびちびやりながら、10年前の記憶を頼りに桜の木を目指す。そうだ、あのコンビニは以前個人経営の小さな酒屋があったはずだ。駅前を離れると街は以前と変わらぬ閑静な田舎の風景に変わった。堂島を運んだ社用車を停めた駐車場はバカでかい老人ホームに変わっていた。こんな綺麗なところで、金を持った老人たちがたくさん集まって死ぬのを待っているんだな。大層なご身分だなと唾を吐いた。レモンサワーの缶を川に捨てて火を付けた煙草を1本吸い終わる前に、俺は桜の木に辿り着いた。

たった32年のつまらない人生だったけれど、あんなにも美しいものを見たのは初めてだった。周りの枯れ果てた仲間たちの間でひとり、凛と美しく狂い咲いた満開の桜。あの時溢れた涙は、一体何の涙だったのだろう?それは今でも分からないままだ。

狂い咲きの桜の木の下から白骨死体が見つかったというニュースを見たのは、帰りの電車でいじっていたスマホだった。俺は自分でも驚くくらい何の動揺もせず、まるで他人事のように冷静にそのニュースを受け入れた。かと言って自首しようとも、逆に逃げようとも思ったわけではない。なるようにしかならない。その夜俺は久しぶりに、酒も飲まずにぐっすりと眠った。

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