見出し画像

私と斧との話

人には必ず何かの才能があるものだと言う。しかしその才能に自分で気づくことが出来るのはほんのひと握りで、大半の人はその才能に気づかず眠らせたまま生涯を終えてしまう。そういう意味では私が自身のこの才能に気づくことが出来たということは幸運なのだろう。私は、『斧を投げる』ということに関して、自分で言うのもなんだが天才的な才能を持っていた。

アックススローイング(斧投げ)は、アメリカやカナダを中心として人気のスポーツである。ダーツの要領で的に向かって手斧を投げて得点を競う。私が初めて斧投げに出会ったのは高校2年の夏休み、ホームステイ先のオーストラリアだった。ホストファミリーに連れられて遊びに行ったキャンプ場に、アックススローイングの施設があったのだ。正直あまり乗り気じゃないまま、勧められるまま私は斧投げに挑戦した。初めて斧を握った瞬間、私はこれがどう投げればどう飛ぶかが直感的に理解出来た。そして投げられた斧はその直感そのままに、私の狙い通りの場所に寸分たがわず刺さった。ホストファミリーたちがはしゃぐ中、私は自分の才能を見つけた喜びに戸惑いながらも打ち震えていた。

10日間の短いホームステイを終えて日本に帰ってきてから、私に斧投げの機会は全くなかった。斧じゃなくとも何かを投げる競技なら同じように出来るのではないかと思い、ダーツややり投げを試してみたり、的を狙う競技ならと思ってアーチェリーに挑戦してみたりもしたが、斧投げのように上手くはいかなかった。やはり私は斧じゃないとダメなのだ。私はワガママを言って自宅の庭に小さな斧投げのスペースを作ってもらい、キャンプ用品店で小さな手斧を買って、夢中になって斧投げの練習をした。斧を投げている時だけ、私はこれまでに感じたことのない生きる喜びを実感することが出来た。私は斧を投げるために生まれてきたのだ!そこからの私の人生はまさに斧とともにあった。

何とか斧投げを続けたいと思った私は斧投げの部活がある大学を探したが、そんな大学は存在しなかった。私は田舎の郊外にある大学に進学し、サークルの新設の申請に必要な最低人数である5人の友人の名前を借りて斧投げサークルを立ち上げ、大学の敷地内にあった林の隅っこを借りて小さな練習場を作り、毎日練習に励んだ。アルバイトをしてお金を貯めて初めて参加したカナダの斧投げ大会で私は圧倒的な成績で優勝し、翌年アメリカで開催される世界大会の切符を掴んだ。初めて挑んだ世界大会、私は僅差で敗れて2位となった。優勝したギルバート・チャップマン氏は192センチの大男。普段は木材の加工工場で働いているという30歳。まさに斧を投げるために生まれてきたような体格をしていた。対する私は164センチ。当然ながらチャップマン氏のような筋骨隆々とした肉体は持ち得ていなかったし、まして私は女だ。しかしそんなことを言い訳にしたくなかった。私はジムに通って肉体改造に取り組み、投擲フォームを録画して繰り返し分析してより完璧な斧投げを目指した。そして迎えた大学3年の世界大会。私はチャップマン氏を破ってとうとう世界一となった。大学を卒業してから、私は幾度かの海外遠征で培った英語力を活かして翻訳の仕事に就いた。幸運にも会社は私の斧投げを理解してサポートしてくれた。前人未到の世界大会7連覇。いつしか私は『女帝』と呼ばれるようになっていた。

私は依頼を受けて斧投げに関する本を幾つか出版し、これはそれなりに売れた(主に海外で)。怪我や出産などもあって競技に集中出来ない時期もあったが、7連覇を含む11度の世界一に輝いた私は、斧投げの第一人者となった。今は秩父の山間に居を構え、小さな斧投げの練習場を作って後進の育成に努めながら、今でも斧投げを楽しんでいる。

嘘のように出来すぎた話だが、会社で知り合って結婚した相手は小野という人で、私は小野奈津美という名前になった。斧に出会ったのもきっと運命だったんだろうと思っている。

よろしければサポートいただけると、とてもとても励みになります。よろしくお願いします。