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歴史のカリスマリーダーは99%クソ上司! _feat.織田信長、始皇帝 <上司編#1/4>

上司が評価してくれない。自分という人間をぜんっぜん理解してくれない。そもそも、人間としてまったく尊敬できない! オレ(ワタシ)の上司、マジおわってる……。

こんなふうに、上司への不平不満を抱えた働きびとは少なくないのではないでしょうか。

『コテンラジオ』のリスナーさんからも「上司にまつわる相談」をいただいていました。ご本人に直接返事することはできなかったものの、僕の中で課題として預かっていました。

サラリーマンだった僕も、上司に対して同じように思っていたからです。

新卒で入社した当時の僕は、上司の言動に振り回されずに自分の心をどうマネジメントすればいいかも、まったくわかっていませんでした。そのあと歴史を勉強していって大企業の外に出て経験を積んでいった結果、たどり着きました。1つの真理に。
深井の暗黒会社員エピソードはコチラでも▷▷▷ 『組織の腐敗はなぜ起こる? 後漢王朝と大企業Aをくらべてみた_feat.鄧皇后、梁冀

ほとんどの上司がクソである。

歴史上の優れたリーダーを見渡してみても、部下の視点に立てば名君なんて1%以下です。いい上司なんて数えるほどしかいません。いまアナタが嘆いているリーダーが、実は「悪くないほう」である可能性のほうが大きいと思います。

つまり、ファクトを見てもいい上司に恵まれる可能性のほうがずっと少ない。これは昔もいまも同じです。「いい上司に恵まれない」のは当たり前の再現性高い現象なので、いい上司に当たることを期待するよりも自分の考え方を変えたほうがいいというわけです。

8月のnoteは「クソ上司」偉人伝

8月のこのnoteでは、4回にわたって「上司」を題材に、偉人やそのエピソードを紹介していきます。セクハラ・モラハラ上司をはじめ、クソ上司の下でも輝いた人、1%といえる奇跡の優れた上司まで、上司という切り口で歴史の事例を取り上げます。上司にまつわる悩みを抱えていた人の見ていた世界が、少しでも変わったらいいなぁと思ってます。

「失敗すなわち、死」。部下たちの緊張感

まず極端な話をすると、どんな上司についても殺されないだけマシです(笑)。

歴史上の部下たちは、「失敗=死」という世界で生きていました。君主の意に沿わないことをしたら簡単に処刑されるのは当たり前でした。そんななか、天下統一など歴史に名を残している英雄であっても、上司としてはロクデナシです。

たとえば、織田信長

信長は、尾張という小さい国からほぼ天下統一までのし上がった戦国時代界のスターであり、非常に優れた武将ですよね。ところが部下の視点で見たら、パワハラ・モラハラが凄まじいわけですよ。

織田信長は、超合理的な能力主義者でした。評価の基準はシンプルで「戦に勝った」「戦に勝てるか」のみ。

当時の常識ならば、ある程度出身や家柄が良くない限りは出世できませんでした。一方で信長は、先祖代々織田家に仕えた者も優遇せず、「勝てるヤツ」はどんな人間でも採用。信長に認められれば己の力で上り詰めることができたし、活躍すれば領地も増えました。豊臣秀吉のような農民出身者が出世することもできたわけですね。

信長軍は、完全能力実力主義の外資系企業

織田信長軍をたとえるなら、社長が社員の誰よりも有能なカリスマで、社員も全方位的にスキルが高い人間しかいない超高給の外資系企業のようなもの。その意味で秀吉は、パワハラ・モラハラを受けながら圧倒的な成果を求められるも、クリアできるスキルとマインドを備えていたということになりますよね。

そんな合理的な体制を敷く信長ですから、成果を出せない役立たずは切り捨てます。自分の思う通りに進められない部下は「無能認定」を下すわけですね。

ノルマも高かったらしく気分屋で短気な性格だったこともあり、自分の水準で達成できない武将には大勢の前でも厳しく叱責しました。

「お前は怠けている!」と。

部下たちは、真剣にやっていました。失敗すなわち死、の緊張感はとんでもなかったでしょう。のし上がりたい人間ばかりの先鋭組織なのですから個々のモチベーションも高かったはずです。

とはいえ、能力差はあります。すべての部下が、スーパーデキる経営者の思い通りに達成できるわけではありません。それを怠けていると受け取るトップは、自分にも他人にもストイックでした。

「部下の立場から物事を考える」「部下の気持ちを汲もう」なんてことはできません。信長は他者の気持ちがわからないサイコパスだったといっても、言い過ぎではないと思います。

まじめだったゆえ、追い込まれた明智光秀

信長ほど無情ではなくとも、自分のコピー人間をつくりたがる上司は一定数いると思います。

理不尽なリーダーによる数々の要求に応え続けたものの、精神的に追い詰められてしまった部下の代表格が明智光秀です。

光秀は、信長からその能力を高く評価されていました。戦略的に重要な拠点である京都の近くにある琵琶湖付近の近江坂本城と丹波亀山城の両方を与えられていましたからね。秀吉でも、筆頭家老の柴田勝家でもなく。

合戦をやらせてもうまいし、行政官としてもそつがない。仕事がデキるのでさらに仕事が降ってくるという激務に次ぐ激務でした。

ただ、君主から認められていたといえ、自分が愛されているのは人ではなく「能力」であることを光秀もわかっていたはず。いつかは使い捨てにされるのではないかとの不安があったとしても不思議ではありません。

明智光秀が信長を討った理由に明確な史実はありませんが、多すぎる仕事をし続けたゆえに心身ともに追い込まれ、どうやら、最終的に殺さざるを得ないほどのノイローゼになってしまったようです。


中華を統一した偉人は、猜疑心のかたまり

次のクソ上司いきましょう。

紀元前221年、古代中国であの広大な土地を初めて1つにまとめた秦の始皇帝です。めちゃくちゃ頭のキレる超絶デキる人物でした。マンガ『キングダム』の主人公のひとり、「政(せい)」ですね。

始皇帝は統一後、中央集権制を確立し、交通インフラや漢字、通貨を統一させるなどのシステムの土台を創り上げました(日本は弥生時代。農耕を始めた日本人が、収穫した米をねずみにかじられずに保存するには?あたりを考えていた時代です!)。

秦が滅びたあともそのシステムや体制は、次の漢帝国に濃密に受け継がれました。

中国は1つという概念を生み、そのあと中国がものすごい国力を備えて世界に君臨していく礎をつくっただけでなく、いまの中華人民共和国のアイデンティティの出発点を生んだ偉人です。

でも実は彼も、部下目線で見ると、まごうことなきクソ上司です。

韓非子は“優秀ゆえに”殺された

始皇帝は統一する前、戦国時代の秦が中国西方の一国だったころは比較的悪くない上司でした。

それが、もともとは8歳頃まで趙(ちょう※1)で人質として死と隣り合わせのなかで暮らしたこと、父親が早くに亡くなり13歳という若さで一国のトップに即位すると一気に他国から攻められたこと、暗殺未遂に何度も遭ったことなどから、人を信用することがどんどんできなくなります

趙(ちょう)※1……春秋戦国時代に存在した王朝で、戦国七雄の1つに数えられる。

中華のトップオブトップとして、王様の上となる「皇帝」という最上位概念を自ら名のっていながらも、信頼して人に任せることができませんでした。30キロ分の書類(※2)を毎日、毎日決裁していたというハードワーカー伝説が残っているほどです。

30キロ分の書類※2……当時の書類は紙ではなく「竹」ではあった。

気に入った部下からしか話を聞かなくなり、猜疑心から殺しまくってもいきます。

部下ではないのですけど、始皇帝に殺された有名人は思想家の韓非子(かんぴし)です。韓非子は、権力の扱い方とその保持についての優れた理論を説き、いまでいうビジネス書『韓非子』にまとめました。その理路整然とした内容に、始皇帝は当初、彼を高く評価します。

ところが、「仲間のうちはいいけれども敵になったら怖い相手」と考え最終的には殺してしまいます。

たったひとりの宦官としか意思疎通しない

年齢を重ねるごとに始皇帝は、本来は王朝内で立場が低い、自身の身の回りのお世話係である宦官(かんがん)としか話をしなくなります。

諸説ありますが事実として伝えられているのは、宦官のひとり・趙高(ちょうこう)を重用し、彼としか話さなくなったこと。これまで功績を残してきたすべての将軍・役人たちを差し置いて、です。

会社でいうなら、社長が副社長や取締役を無視して、ある1人の一般社員にだけ経営における重要なことをしゃべるという感じです。

その結果、秦は完全に混乱状態に陥ります。始皇帝は趙高としか口を聞かないわけですから、趙高が言ったことがそのまま始皇帝の言葉になるわけですね。周囲も「始皇帝はこう話していた」と趙高が言えば、聞かざるを得ない。

趙高の権力は王朝内で異常に強くなっていきました。社内でも、発言力が強く態度も大きいあの人が怖くて、誰も何も言えないという状態はありますよね。

始皇帝が亡くなったあと、趙高はさらに好き放題。気に入らない人間を処刑していく、2代目皇帝に始皇帝の長男ではなく次男を推すなど暴走します。

始皇帝は自ら、そんな組織をつくってしまったんです。

「遅刻したら死刑」という苛烈な統治ルール

人民への仕打ちも酷いものがありました。

国の運営のために、大がかりなインフラや万里の長城などをつくります。その際に動員される民衆の負担は多大なものでした。人数は当時の日本人口と同じぐらいの70万人にものぼります。

統治ルールもめちゃくちゃ厳しく、たとえばこんなものがありました。

動員された労役に「遅刻したら死刑」

過重な労役と厳重なルールで民を統率しようとしたわけですが、民たちの不満と恨みは蓄積しました。農民の反乱が起きてその反乱の中に次の漢帝国をつくる劉邦、そのライバル項羽という人たちも出てきます。

こうして秦は、始皇帝が亡くなってほぼすぐの15年で滅んでしまいます。

クソ上司ばかりだから気にしないで

始皇帝と信長は、リーダーに向いていなかったと思います。共通するのは、人を認められないこと。人を許せないこと。自分と同じ高い能力値を常に求めていました。

実際、始皇帝は中華を初めて1つにまとめ、何百年と続く統治システムの基盤を生み出しながら、秦はたったの十数年で滅びます。信長は、最も評価していたといえる部下の謀反で自刃させられ、天下統一を成し遂げられませんでした。

信長と始皇帝。上司としてはクソの極み。みなさんの上司のほうがずっとずっとマトモなのは、間違いないと思います。


■始皇帝がもっとわかる! 『キングダム』がよりおもしろくなる!


このnoteでは、歴史を学ぶことで得られる「遠さと近さで見る視点」であれこれを語っていきます。

3000年という長い時間軸で物事をとらえる視点は、猛スピードで変化している今の時代においてどんどん重要になってきます。

何千年も長い時間軸で歴史を学ぶと、自分も含めた「今とここ」を、相対化して理解できるようになります。世の中で起きている経済や社会ニュースとその流れから、ビジネスシーンでのコミュニケーションや組織づくり、日常で直面する悩みや課題まで、解決できると僕は信じています。

人間そのものを理解できたり、ストーリーとしての歴史のおもしろさを伝えたくて、歴史好きの男子3人で『COTEN RADIO(コテンラジオ)』も配信しています。PodcastYouTubeとあわせて聴いてもらえたらうれしいです。

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(おわり)
2/4話目となる次週は、クソ上司の下でも光ったあの英雄についてお届けします!

編集・構成協力/コルクラボギルド(平山ゆりの、イラスト・いずいず

株式会社COTEN 代表取締役。人文学・歴史が好き。複数社のベンチャー・スタートアップの経営補佐をしながら、3,500年分の世界史情報を好きな形で取り出せるデータベースを設計中。