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【夢日記】現実世界では恋愛成就しなかったMと夢世界でデートを楽しんだ

舞台は大学。初めてバスケットサークルの同期として顔を合わせることになった時から「あっ、この人のこと、好きになるかもしれない・・・。」と感じていたMと、ひょんなことから恋仲に発展していた。

現実世界のMとは、僕が密かな恋心を抱きながらも、Mに別の彼氏が居たりだとか、そんなこともあって僕は僕で別の彼女が居たりだとか、お互いに恋人が居る時期もあったりだとか、でもサークル仲間として和気藹々とやっていたりだとか、そんな、一見、仲睦まじい日々を過ごしていました。ある日、Mが彼氏と別れたという話を耳にして、その当時は僕も恋人が居ない時期だったりして、善は急げと言わんばかりに交際を迫って、見事に玉砕した、そんな、苦々しい過去もあります。今思い返すと、傷心冷めやらぬ時期にアタックするなんて、どれだけ相手の気持ちが分からない愚かな人間なのだろう、と、心が抉られるような恋慕の念に駆られて、一人、恥辱ともとれる自己嫌悪を味わうことになるのです。具体的な日付を申せば、彼女の誕生日がおとずれると、そういった感情が再燃されることとなるでしょう。そう。少なくとも、年に一度は、誰に頼まれるでもなく、既に連絡する手段が絶たれているにもかかわらず、懺悔するハメになるわけです。否、「ハメ」ではないですね、過去の苦い体験を述懐することで未来に活かす、そう、忘れたいけど忘れられない、ではなく、心に刻み付けて教訓とする、いわば、カルマを背負わせていただいている、と言った方が、一層、正しいのであろう、とすら思う、今日この頃であります。

夢の世界では、どういう経緯で交際に発展したかまでは描かれていなかったのだが、デートの際におとずれた、ファッション店と串カツ屋さんでの立ち居振る舞いを見る限り、終始、Mが僕のことをリードする感じだったのが印象的だった。

そこから推測すると、現実世界の自分よろしく、男らしい雄々しさではなく、なよなよとした女々しさを露呈しながらも、なぜか女性の母性本能に訴えかけることに成功してしまい、気付いたら恋仲に発展していた、そんな体たらくだったのではなかろうか。

なんだか、人生、得をしているように思われるかもしれないですが、母性本能に訴えかけた結果「恋」が成就したとしても、やがて「愛」へと移行する時期が来た際に「ぶっちゃけ、この男に、未来はあるのか?」「こんな、頼りも無ければ、意気地も無い男に、一蓮托生を誓い合えるのか?」などと思わせてしまうのか(単に僕がそう感じるフシが多々ある、というだけの話で、実際にそうなのかは分からないのだけれど)、遅かれ早かれ、破局を迎える有り様なのです。そして、僕はまた一つ「元カノの誕生日」という、生涯、忘れることのできぬカルマを背負い、忌ま忌ましい過去に苦しめられる、否、苦しませていただいている、という状態が、現在進行形で続いているわけなのです。無論、命尽きるまで、続けていくことになるのでしょうが、少なくとも僕にとっては、前述したように「過去に縛られている」という感覚は無い、いわば、本望、といっても差し支えないわけであります。

ファッション店の彼女は、可愛かった。間違った。「は」ではなく「も」だった。だなんて、よくある惚気話はそこそこにしておくとして、夢の世界の彼女も、一挙手一投足、可愛かった。服の好みは、僕の言葉で説明するのであれば、カジュアル、だった。エレガント、ではなかったし、ガーリー、でもなかった。それが最高に可愛かった。特に、Gジャンを着ている彼女が、僕は好きだった。身長が150センチにも満たないぐらい小柄な体躯をしながらも、180センチぐらいはある僕を容易く凌駕してしまうエネルギッシュさを持つ彼女にお似合いだと、密かに感じていたからだ。

なぜ「密かに」と書いたかというと、夢の世界の僕は「Gジャン良く似合っているね!」などと、声に出して伝えることはせず、そもそも、可愛かっただなんだと、ここぞとばかりにのろけながらも、心の中で「今日も可愛いなぁ」「やっぱ好きだなぁ」などと、脳内再生されている、斉藤和義「ずっと好きだった」のBGMに乗せて、のたまっているだけでありまして、僕の口から発せられることは「うん」「そうだね」などなど、取るに足らない相槌ばかりなのです。言うまでもなく、現実世界の僕も、そんな感じなわけであります。そして、バイバイをした後に「ちゃんと声に出して伝えれば良かったなぁ」と、何度同じテーマで反省をしたのか分からないモヤモヤを抱えながらも、類似した場面がおとずれると、同じ過ちを犯してしまうのです。言ってしまえば、失敗から学ぶことが出来ない人間、もっと言うと、失敗から学ぶ気すら無く、自己憐憫に浸る自分を、むしろ愛してすらいるのではないか、と思う時さえある、歪んだ自己陶酔の性分を持っている、のかもしれない、救えない男、なわけであります。

ファッション店から串カツ屋に場所を移しても、やっぱり彼女が僕のことをリードしてくれていた。また、彼女は、ヘルシーな揚げ物とジャンキーな揚げ物にも堪能らしく、僕に、色々な知識や持論を聞かせてくれた。

彼女いわく、

「揚げ物は体に良くないと言って全て断ってしまうと、食欲が満たせないストレスで、かえって体に毒。同じ揚げ物でも、どんな油を使っているかによっても変わって来る。この店の串カツは米粉で揚げているのがお気に入り。具材によってヘルシーかジャンキーか考えながら食べるけれども、コレも同じで、我慢し過ぎないことがポイント。そこの線引きは人それぞれだから、自分に合った食べ方を見つける必要がある。そういうのも『楽しみながら行う』のが私は大事だと思っているよ♪」

要約するのであれば、大体、こんな感じのことを言っていたと記憶しているのだが、僕は、話の内容うんぬんよりも、普段とは異なる解説口調で話している彼女が可愛いなぁ、得意気な表情を浮かべる彼女も可愛いなぁ、などと、全く別のことを考えていたため、有難い説法も、耳から耳へと抜けてしまっていた。

彼女とバイバイした後、恒例の振り返りタイムで「串カツ屋で色んな話を聞かせてくれたけど、内容そっちのけで、顔や声にばかり着目してたから、ほとんど覚えてないなぁ・・・。」ということに気が付き、これまた恒例の反省タイムに浸っていた。

こういう状態を「豚に真珠」とか「馬の耳に念仏」と言ったりするのかな、と、心の中で独り言ちながら、クスクスと笑っていると、目を覚ました。

現実世界の僕は「今日は珍しく『吉夢』と呼べる良い夢だったなぁ・・・。」などと、しばし余韻に浸っていた。

しかし、やがて「夢の世界で起きた出来事さえも、現実世界と同様に『ちゃんと話の内容に耳を傾けないといけない』と思い始めて、自らを叱責しているのか・・・。」なんて考えていると、気が滅入ってきた次第である。

つくづく、自縄自縛が、大好きらしい。

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