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【夢日記】<下①>鳴かず飛ばず

※これまでの内容


【前回の終わり部分を引用】

「礼二さん、色々と尽くしてくれて、ありがとうございました。もう、大丈夫です。僕の不器用さは、誰よりも僕が、知っていますから。一朝一夕で、なんとかなるものじゃなかったんだ。やっぱり。この宿命を背負って生きていくしかないことが、ハッキリと分かりました。むしろ今は、清々しさすら感じています。スパッと諦めさせてくれたという意味でも、ありがとうございました。」

「一朝一夕で、なんとかならないことは、僕も良く分かった。でも、『だから諦める』というのは、僕は違うと思う。『だからこそ克服出来れば新たな道が開ける』と考えると、未来がパァッと明るくなるんじゃないかな?」

~~~

僕と礼二さんは「お手玉作戦」の挫折を共に味わったことで、仲違えするのではなく、むしろ、ますます「絆」を深めることとなった。

前回の引用部分にあるように、僕からすれば、”見限られて然るべきだ”、ぐらいに思っていたにもかかわらず、礼二さんにとっては、”この関門を乗り越えれば、彼(僕のこと)は一気にブレイクスルーするはずだ”、という念を強めたらしい。

そんなことは及びもつかなかった僕は、礼二さんの、前向き且つひたむきな言動が、自分に向けて発せられていることがピンと来なかったのか、喜びの感情ではなく、驚きの感情で満たされてしまったのだが、時間が経過するにつれて、一過性の情動ではなく、恒常的な精神状態として、”この人(礼二さんのこと)が居れば僕は大丈夫だ”、と思えることが出来た。

筆者は、RADWIMPSをあまり聴いてこなかったのであるが、大晦日、色んな人とワイワイ飲み食いしながら紅白歌合戦を見ていて、『大丈夫』という曲のフレーズ、

君を大丈夫にしたいんじゃない
君にとっての「大丈夫」になりたい

この言葉が耳に入って来て、込み上がるモノを感じた僕は、“この感覚は信頼出来る感覚だ”、と確信して、初期楽曲から、その当時の最新曲まで、ガーッと聴き続けていた時期が、あったりする。

今は諸手を挙げて「大好きなアーティストです!」と言えるぐらい聴けていないけれど、あの時は、素敵なコトバに出会わせてくれて、ありがとうございました。

注釈

中編で述べて来たように、”致命的な弱点”、と形容しても過言ではないぐらいの僕の不器用さが、いきなり解消されたわけではない。だが、僕と礼二さんとの間では、”腰を据えて難局に立ち向かおう!”、という共通認識を持つことが出来た。これは、何物にも代え難い財産と言えよう。

礼二さんは、僕の不器用さを、単に手先の使い方が悪いからと捉えるのではなくて、身体のメカニック的な部分であったり、心のメンタル的な部分であったりと、複合的な要因が絡み合うことで、”一朝一夕では克服することの出来ない筋金入りの不器用さ”、に繋がっていることを指摘した。

そして、身体のメカニックを矯正するべきポイントに「肩の力を抜く」ことを挙げた。要するに、”力の出し入れ”、を体感覚に染み込ませることによって、”力み”、といった余分な力が程良く抜けることで、手先の器用さの向上にも繋がって来る、そういう狙いがあって、僕に提案してきたようだ。

僕は、最初から最後まで、”まさにその通りだなぁ・・・”、と思いながら、礼二さんの話を聞いていた。二つ返事で「はい!やります!」と答えたのは、言うまでもない。

人生で「肩の力抜きなよ(笑)」と言われたことは数知れず。

そのシチュエーションの際に、最も僕が恐ろしいと感じているのが、自分はそれほど、過度な緊張状態であると思っていないにもかかわらず、相手からすれば、僕は肩に力が入り過ぎていて、心身にかかるストレスを少しでも和らげてあげようと、善意をもって、「肩の力抜きなよ(笑)」と言われてしまうことなのだ。

それを受けて、僕は、「えっ、そんなに力が入っていたかな・・・?」「少なくとも、相手からはそう見えていたのか・・・。」と、むしろ余計に、肩に力が入りやすくなる状況に追い詰められてしまった、と心の中でもだえ苦しみながらも、「すいません、ありがとうございます・・・。」と、文字に表すと、何を指して言ったのか、僕自身良く分からない、謝罪と感謝の意を持つ言葉を発するのであった。

そして、”意識的に肩の力を抜こうと努めてみる”、のだが、本当の意味でのリラックス状態というのは、”無意識的に肩の力が抜けていること”、を指すように、”意識的な努力”、をしている時点で、リラックスとは程遠い状態で、尚且つ、「相手に気を遣わせてしまったなぁ・・・。」という申し訳なさも募って、「肩の力抜きなよ(笑)」と言われる以前よりも、ストレス状態にさらされることになるのであった。

無論、”善意をもって”、僕にそう声を掛けてくれたのだから、相手の気持ちを無下にすることは、出来ないし、したくもない。

けれども僕は、もしも逆の立場になった時は、「肩の力抜きなよ?」ではなく、”あっ、この人の前だったら、肩肘張らず、ありのままの自分で居られるなぁ~”、と思ってもらえるような空気感を、自然に醸し出せる人でありたいなぁ、とは思っている。(ごめんなさい・・・。)

余談

肩の力を抜くことを身体で覚えるための具体的な練習法として、礼二さんが僕に提案してきたのが、”アポ無しGO!”、だった。

これは何かと言うと、1日24時間、「いつ・どこで・誰が・何を・どのように」行うのか、全く知らされていない状況下に身を置きながら、毎日の生活を送るという、練習法だった。

例えば、僕が寝ている途中でも、連絡が入れば、即座に対応して、その場で言われたことを、その場で行わなければならない。

例えば、僕が飯を食べている途中でも、連絡が入れば、即座に対応して、その場で言われたことを、その場で行わなければならない。

要するに、1日24時間、常に、何かしらのミッションが課せられることを想定しながら、毎日の生活を送らなければならないという、とっても過酷な練習内容なのである。

礼二さんは、僕に「人間の環境適応能力を鍛える上では『一寸先は闇』の状態を自動的に構築してしまうのが一番なんだ」と付け添えた上で、「やるかやらないかは〇〇(僕の苗字)の判断に委ねるけれど、どうする?」と問い掛けて来た。

僕は、本能的に、”やりたくない”、という感情が芽生えた。

でも、それだと、今までと何も変わらない。過去の自分にならって、現在と未来の自分が行動を選択していたら、ブレイクスルーなんて夢のまた夢だ、だったら、過去の自分だったら絶対やらなかったようなことを、敢えてやってみることで、道が切り開けるかもしれない、そう思い直し、

「・・・やります。自分を、変えて見せます。」

と、声量自体は小さいながらも、礼二さんの目を見て、ハッキリと、言った。人の目を見て話すことが苦手な僕にとっては、そこだけを切り取っても、”変化の兆し”、みたいなものを感じさせる、そんな決意表明だった。

~「下②」へ続く~

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