食わず嫌いは勿体ない。野菜嫌いだった僕が野菜を食べるようになった話。
「食わず嫌い」が、自分の世界を小さくしているかも。
ある日、パクチーを食べててふと思い返した
19歳までの僕は、とても食べれないものが多かった。
そして、それは大体「食わず嫌い」によるもの。
野菜嫌い、食わず嫌い
今は、野菜も好んで食べますが、
昔は、野菜単体(緑黄色野菜)で食べるということがなかった。
そんな野菜嫌いの少年が、
唯一食べたのが「和幸のとんかつについてくるキャベツ」。
それでもソースをめちゃめちゃかける。もうソースの味しかしないやつ。
そのおかげで、段々とキャベツ耐性ができてきて、普通に食べれるようになった最初の緑黄色野菜は「キャベツ」。
あと、カレーに入っている人参は食べれた。
これは、カレーのルーが人参にかかっているから。
じゃあ、野菜に何かをかければ食べれるのかというと、そうではない。
ドレッシングも嫌いだった。野菜にドレッシングをかけるから、そいつは「野菜」だ。ちょっと今の自分でも何言ってるか分からないけど、理解してくれる人がどこかにいると信じて。
サラダドレッシングで最初にハマったのは、ごまドレッシング。
フレンチドレッシングやイタリアンドレッシングは苦手でした。
どうでもいい話ですが、今は野菜すりおろしドレッシングが好きです。
「野菜に野菜かけてるぞ」と昔の自分に言ってやりたい。
これらの食べれたものから考えると、
僕は野菜と味の濃いものが一緒になっていれば食べれたんだろう。
野菜嫌い、そして基本偏食。
気に入ったものは、毎日食べても飽きない。
小学生の時は、母に「今日、何食べたい?」と聞かれても
毎度のように「肉!!」と答えていた。
(今でも、肉は毎日食べても飽きないかも、、、)
小学校や中学校の給食の野菜は、食べた記憶がない。
最初からもらわなかったか、友達にあげていたのか。
牛乳も嫌いだったな。野菜の入ったスープとかも。
本当に食べるものが少なかった。
飲食業だったからこそ
大学生になりアルバイトするようになってから、
「食わず嫌い」というものが減っていきました。
そのきっかけは、「賄い」。
店長や先輩に作ってもらうのだから、もちろん残さず全部食べる。
それを繰り返しているうちに、普通に野菜も食べれるように。
パクチーとか食わず嫌い発動してたけど、
視察なんかで食べる機会があって、食べてみたらイケることが判明。
食わず嫌いによる「嫌い」は、とりあえず食べてみると案外イケるんじゃないかなと。そいつと仲良くなれそうか感じてみる。食べ慣れてきたら「好き」になることはないかもしれないけど「普通」にはなるかもしれない。
人間関係でも、出会った時からいきなり仲良くなれる人と、段々と仲良くなる人っていませんか?
食べ物だって何だって、そんな感じだと思うんですよね。
僕は飲食業界に就職したから、「食わず嫌い」というものがなくなりました。そして、色々なものを食べる機会があったおかげだとも思う。
食べ物に対する食わず嫌いをなくすという面で、飲食業で働くことは1つのメリットかもしれない。笑
日常に潜む「食わず嫌い」
食べ物じゃなくても、読書とか人間関係もそうだと思います。
難しそうな本を読んでみたら、意外と面白かったり。
やっぱり、つまらなかった、難しかったり。
見た目怖そうでも、話してみたらそんなことなかったり。
見た目通り、怖いパターンだったり。
でも、それを確かめるには、最初から苦手意識全開でいたら難しいと思うんです。そこに対する気持ちをフラットにてチャレンジしてみないと。
思い込みにとらわれないこと
人に聞いたことで判断せず、自分で体験してみて、自分で判断すること
食わず嫌いしていたものを食べてみて、「やっぱり嫌い」と思うこと
が大事だと今は思います。
食わず嫌いを克服しようとする気持ちは必要として、
その環境・機会があるかどうかも大事だなと。
「食わず嫌い」が少なくなることで、
自分の人生における「選択肢」が増える。
大袈裟かもしれませんが、自分の世界が広がる。
そう考えるようになってから、「勿体ない」と思うようになりました。
食わず嫌いばかりしていた昔の自分からしたら考えられない。
まだまだ僕自身、食わず嫌いは多いですが、このnoteで自分が言ったことを意識して少しずつチャレンジしていきます。
食わず嫌いは、勿体ない。
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