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無自覚の渇望

カミュ『異邦人』を読んだ時、自分にとって大きすぎる出来事を前に身動きが取れなくなる感覚と、それゆえに日常の些末な場面をやたら鮮明に記憶している状態には、少なからず心当たりがあると感じたものだった。(実際の内容は全然違うので、何故こんなふうに感じたかを問われると困ってしまうのだけど)


私で言えば祖母が亡くなった翌朝の事と、もうひとつ、初めてのひとり暮らしを開始した夜の事。


実家を出たのは2011年3月10日だった。
涙する母に見送られて乗り込んだ高速バスに揺られること数時間、香川県高松市某所のバス停に降り立った頃にはすでに夜だった。前月に契約手続きを済ませていた1Kアパートに着いて、電気をつけて室内を見回した時は、喜びよりもまだ浮足立つ気持ちのほうが大きくて。落ち着かないままテレビをつけて、高知県では放送していないテレ朝の『いきなり黄金伝説』を観たことを、そこに伴う心もとなさも込みでやけに鮮やかに覚えている。


そんなふうにして始まった最初の夜から、翌日のあの大地震。震源から離れた私の地元も太平洋側沿岸ゆえ津波警報が発令され、母が心配で連絡すると「一人で地元の小学校に避難している」という返事が来て胸が痛んだ。ニュースで見た想像を絶する被災地の状況にも感情が追いつかず、しばらくは不安のほうが圧倒的に大きかった。


それでも知らない街での新しい生活は否応なしに始まった。引越し前に決まっていた仕事を心底向いてないと感じて三日で辞めたり、ハローワークに通ったり、そこでご縁があった会社で新しい仕事を始めたりと、目まぐるしくいろいろなことがあった。


その目まぐるしさに潰されないよう、前々から考えていた「ひとり暮らしを始めたらやりたかったこと」を少しずつ実現させていった。高松市は私の地元と比べると圧倒的に都会だから、長いアーケードを歩き回ってお気に入りのお店を見つけるといったことも含まれているけれど、それ以外は「昼間から長風呂で本を読む」とか「好きな時間に食事をする」とか「カフェっぽいワンプレートごはんを作る」とか、そんなささやかなことばかり。でもそのささやかなことが、ひとり暮らしを軌道に乗せることに役立ってくれたんだと思う。


一方で、本当に望んでいたことは、自覚できていないところにあったのだと発見したこともあった。


ひとり暮らしを始めて迎えた最初の夏。
今日は外出せず、好きな本でも読んでゆっくり過ごそうと決めた休日の朝だった。洗濯を済ませて朝ごはんを食べて、もう朝からお風呂に浸かってしまおうと決めて湯船にお湯をためて、部屋の冷房をつけて浴室へ向かった。
じっくり浸かってぽかぽかになった身体で、心地よい疲労感を覚えつつ部屋に戻ったら、窓の向こうに青すぎる空と夏ならではの陰影の濃い眺めが広がっていた。そしてそのうだるほどの暑さを連想させる光景とは対照的な、冷房が効いた涼しい室内がそこにあった。


無性に泣きたくなる方が速かった。
それからじわじわと、冷房の効いた涼しい部屋に憧れがあったことを思い出したのだった。


小学3年生の春休みに両親が離婚して、4年生からは母の実家がある町で暮らすことになった。今でも子供の頃のことを振り返ると、3年生より前の出来事はほとんど思い出せない。幼いなりに心を守ろうとした結果かもしれないと想像している。


実家の2件隣にある一軒家で、母と妹と三人で暮らす生活だった。高校生になって携帯を持ちたいがためにアルバイトをしたことはあったけれど、それでも自分自身の負担無しに修学旅行も行けたし高校も無事に卒業できたことを考えれば、金銭的な面で不便を強いられたことは無かったと言いたい。


その点に間違いなく貢献していたのが当時の家だった一軒家で、町の家賃相場が格段に安い点を差し引いても、なお格安で借りることが出来ていた物件だったと思う。引越し前に様子を見に行ったら土間に板張りの床を準備してくれている祖母と遭遇したので、もしかしたら母方の親族の所有物だったのかもしれない。
お風呂が無い家だったから、毎晩2件隣の実家にお風呂を借りていた。エアコンも無かったけど、夏場に一晩中窓を開けて網戸にしておいても何の問題もない地域だったし、冬も比較的温暖な気候の土地だったからこたつがあれば十分だった。


ただそれでも、冷房の効いた涼しい部屋に対する憧れはあった。
夏場に実家のお風呂が沸くのを待つ間、『美味しんぼ』の続きを読みに叔父の部屋へ遊びに行った時など、ふすまを開けた瞬間に全身で浴びる涼しさが好きだった。扇風機では絶対に叶わない爽快な体感温度は、澄んでいるような錯覚すら感じるほどだった。
暖房の効いた暖かい部屋に対して同じだけの感慨を抱かないのは、雪を見ることも滅多に無い温暖な気候だったことが影響しているんだと思う。子供の私には絶対に手に入らないもの、その象徴が「冷房の効いた涼しい自分だけの部屋」だった。


ずっと忘れていた、忘れていられたのに、手に入れたことで思い出した。自分で選んだ部屋、好きなものしか置いていない空間で、心の底でずっと望んでいたことをようやく叶えたのだ。
傍から見れば日常の些末な場面かもしれない。でも私にはささやかながらも切実な達成を得た瞬間だった。あの時に感じた泣きたいほどの喜びは、実家を出て10年以上が経った今でも、心の支えのひとつになっている。


後日、私が家を出たことをきっかけに、母も環境を変える決心をしたと聞いた。それからすぐ妹が住む街に物件と仕事を見つけていて、そのバイタリティには素直に驚かされた。それ以来ずっとそこで暮らしているから、あの一軒家は今はもう誰も住んでいない。
何年か前に実家に遊びに行った時、中を覗いてみたことがある。家は住む人がいないとあっという間に駄目になってしまうものだと聞いたことがあるけれど、どの部屋にも循環せず留まったままの空気がこもった空っぽな状態を目の当たりにして、かつてここに母娘三人で住んでいたのが信じられないと感じたものだった。


ひとり暮らしの最初の夏から、沢山の時間が経って季節が巡った。今では都内に住んでいる期間のほうが、高松の1Kアパートに住んだ期間よりも長くなった。それでも夏が来る度に、冷房の効いた涼しい自宅で過ごす休日が好きだと飽きもせず感じている。


懐かしい町も思い出の家も今はもう遠い。そして歳を重ねるにつれ、あの時ほどの感銘に出会う機会も少なくなっている。けれどささやかな日常に潜む出来事に心揺さぶられたあの夏の朝を、そしてあれが「ひとり暮らしを始める」という新しい世界に一歩踏み出して得られた達成だったことを、ずっと覚えている自分でありたい。今はそう思う。









※本記事はこちらの企画に参加しました。