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「レミーのおいしいレストラン」 ブラッド・バードの創作論

ブラッド・バード監督のピクサー作品「レミーのおいしいレストラン」を観ました。

この映画には、料理の批評家が登場する。
映画の終盤に読み上げられる彼の批評文ほど、この映画を批評するのにふさわしいものはない。

そこで、この批評文を借りて、私なりになるべく原文の持つ意味を取りこぼさないように翻訳し、間に私の私見を挟むことで、この映画のレビューとしたいと思います。


In many ways, the work of a critic is easy.
多くの場合、批評とは気楽なものだ。

We risk very little yet enjoy a position over those who offer up their work and their selves to our judgment.
批評家自身はほとんど危険を冒すことなく、作品や自分自身を差し出す者を見下せる地位を楽しむことができる。

We thrive on negative criticism, which is fun to write and to read.
否定的な批評が増えてゆき、そして否定的な批評は書くのも読むのも楽しい。

「レミーのおいしいレストラン」(日本語訳は筆者)

そう、プロアマ問わず、このnoteも含め、世に溢れる映画レビューは気楽なものですよね。そして、過剰に否定的で煽情的なレビューも多いです。(もしくは逆に過剰に肯定的で煽情的か)
あたかも、映画制作陣を低く観るようなレビューも多い。自戒も込めて。

But the bitter truth we critics must face, is that in the grand scheme of things, the average piece of junk is probably more meaningful than our criticism designating it so.
ただし、我々批評家が向き合わねばならない苦い真実がある。それは物の道理として、『批評家が「価値が低い」と評した作品』でさえ、その批評そのものよりは価値がある、ということだ。

「レミーのおいしいレストラン」(日本語訳は筆者)

ぐさり。

But there are times when a critic truly risks something, and that is in the discovery and defense of the new.
ときに批評家も本当に危険を冒すこともある。新しいものを見つけ、それを擁護するときだ。

The world is often unkind to new talent, new creations, the new needs friends.
世間は、新しい才能や新しい作品にしばしば冷たい。新しい者は助けが必要だ。

「レミーのおいしいレストラン」(日本語訳は筆者)

ふむふむ。

Last night, I experienced something new, an extraordinary meal from a singularly unexpected source.
昨晩、私は新しいものを経験した。特別な料理をまったく想像だにしない者から提供されたのだ。

To say that both the meal and its maker have challenged my preconceptions about fine cooking is a gross understatement.
「その料理と料理人は、料理に対する私の先入観を揺るがせた」と言うだけでは、表現がまだまだ控えめである。

They have rocked me to my core.
私は心の底から圧倒されたのだ。

「レミーのおいしいレストラン」(日本語訳は筆者)

批評家がレミーの作った料理を食べたことをこのように表現しています。

ここからが、この映画のメッセージの核心です。

In the past, I have made no secret of my disdain for Chef Gusteau’s famous motto: Anyone can cook.
かつて私は、『誰にでも料理はできる』というグストーの有名な格言への軽蔑を表明した。

But I realize, only now do I truly understand what he meant.
しかし今になって、ようやく私は彼の意図するところを本当の意味で理解することができた。

「レミーのおいしいレストラン」(日本語訳は筆者)

これを映画に置き換えるなら、『誰にでも映画は作れる』となりますかね。
やはりそうは思えない。
グストーの、いやブラッド・バード監督の真意はなんだったのでしょう。

Not everyone can become a great artist, but a great artist can come from anywhere.
誰もが偉大なアーティストになれる訳ではない。が、偉大なアーティストはどこからでも現れ得る、ということだ。

「レミーのおいしいレストラン」(日本語訳は筆者)

なるほど。偉大な映画はどこからでも現れ得る、というわけですね。
「ディズニーだから」とか「◯◯監督の映画だから」とか「制作国が◯◯だから」とか、映画本編とは別の情報でもって映画をジャッジしてしまうことは多々あります。
でも、偉大な映画がどこにあるか、どこから現れるかは、現れてみないと分からない。

思えば、中学から高校にかけてハリウッド映画を観まくっていた日々。ひょんなことからディズニーアニメーション映画を見たことで、「こんなによくできた映画はない!」とディズニー作品に傾倒して行ったのでした、私は。
ブラッド・バード監督、その通りだと思います。

昨年のアカデミー賞をとった「エブエブ」こと「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」も、これまでの「いい映画」をぶち壊してくるような支離滅裂で訳の分からない、でも「いい!」と思えるような映画でしたけど、そういうことですかね。
あ、「エブエブ」でもこの「レミーのおいしいレストラン」のパロディというかオマージュシーンが出てきてましたね。きっと「エブエブ」の製作陣はブラッド・バード監督のこのメッセージに励まされたんじゃないかと思う。想像ですが。

It is difficult to imagine more humble origins than those of the genius now cooking at Gusteau’s, who is, in this critic’s opinion, nothing less than the finest chef in France.
いまグストーズで料理をしている天才ほど控えめな者はいないだろう。そしてこれは私の評価だが、彼こそがフランス一の優秀なシェフである。

I will be returning to Gusteau’s soon, hungry for more.
私はすぐにでもグストーズを再訪するだろう。もっとお腹を空かせて。

「レミーのおいしいレストラン」(日本語訳は筆者)

私たちも、“お腹を空かせて”これから登場するまったく新しい映画を、楽しみにしたいですね。

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