デスボイス、おひとついかが?[全文公開販売]

人生では、これまでまったく魅力を感じなかったものに思いがけない惹かれ方をするという「サプライズ!」がしばしば用意されている。
「私は絶対に~」なんて言い方で、どんなものごとも表現できないのはこのためだ。今のあなたはそうでも、いつかのあなたはどうなるかわからないよ。

そう、私は今、長年の音楽の嗜好においてそんな例外の経験をしている最中だ……。
知ってる。自分のカバーするジャンルを少しは広げようと、時にはどこかで見かけた情報や誰かのおすすめ、興味を引かれた記事なんかを頼りに、普段自分の聴かないジャンルのアーティストたちの曲を試聴してみているよね。
魅力がわかるよう何曲かは聴いたりするけど、気づくと必ずそこから離脱して、アメリカのラッパーやR&Bシンガーの曲を検索し、再生してるよね……。

そうなのだ。私はアメリカのラップやR&Bを長年好んでいて、このテイストはずっと変わりそうにない。
ここでいちいち「アメリカの」とつけているのは、他国のラップは好みでないからで、言葉の音やリズム、文化といった側面から私はアメリカのラップを愛し続けている(たまに他の英語圏のアーティストも含まれるが)。
その中で特に好きなアーティストもいて、射程範囲はわりと狭いほう。

けれども私は音楽自体がとても好きで、様々な楽器も好きだし演奏も好きだし……と、その意味では「ジャンル」というものを意識していない。

意識していないんだけど……やっぱり自分の苦手なジャンルというのはあって、比較的一般人気が高いと思われる「ロック」がけっこう苦手だ。

曲やアーティストによる例外もあるにはあるのだが、たとえば自宅に激しくロックを愛している人がいて、常にロック音楽がかかっている環境だったら? と想像してみると、かなり苦しいものがある。
まあ、音楽好きな私でもイヤホンで聴いたり、まったく音楽を聴かない期間もあったりするので、「流しっぱなしを好む」鑑賞の仕方が前提という時点でこれは極端な想像であり、例として言ってみたにすぎないが。

昔から、洋楽のヒット曲のカウントダウン番組を見ると、「いまだに」上位がロックで占められるのを見ては腑に落ちない気持ちになっていた。
いつからかだいぶヒップホップが上位を席巻するようになったものの、やはりロック人気は根強く、それだけ多くの人が好んでいるのだと思わせる。

そんな感想を持つ私が、まさか、ハードロックやメタルのジャンルに属する曲中での「デスボイス」に爽快感を覚えてしまうとは思いもしなかった。
いやぁ、人生何が起きるかわからないよ! それくらい大事件。

デスボイスは和製英語であり、この声を日本語で表現するなら「がなり声」が妥当だろうか。
記事を書くにあたって調べると、デスボイスの中にもたくさんの種類、呼び名があって、私の気に入った歌唱法はたぶん「グロウル」に該当しそうだ。

ひとつ断っておくと、私はあるシンガーのデスボイス限定で気に入ってしまったので、他の人のでは無理。だから、デスボイスという歌い方そのものが好きになったのとは異なる。

それでも驚きを隠せないのは、私は正真正銘、デスボイスが嫌いだったからにほかならない。
聴くに耐えない! 苦手! というのがずっとデスボイスへの私の一貫した感想であり、その歌い方が多く用いられがちな音楽ジャンル自体苦手でもあった。今後好きになる可能性なんてみじんも! 感じたことがなかった!

それが、とあるシンガーの歌唱内のデスボイスに思いがけずはまって(購入した曲を聴くほかに、ライブ映像で生歌もしっかり聴いてみたがやはり気に入っている)、自分がデスボイスに爽快感をおぼえ、その人の歌の中では「もっとデスボイスを……!」と求めるようになってしまったのだ。

前述のように、そのシンガーの声質がきめ細かくて柔らかめの声だったから特になのだろうが、デスボイスが混じるといい意味での太さ、荒さ、勢いが出て、快い「疾走感」が半端ないのだ。

そして、この疾走感が、えもいわれぬ爽快感になる。
聴いていると、すがすがしく駆け抜ける風のようだ。

音楽に見られる悪魔崇拝のモチーフと、二元論を超えることに思いを馳せる

それをきっかけに、これまで接してこなかった「デスボイスがよく登場する類のジャンルの音楽世界」をちらほら眺めていて素朴に感じたたことだが、

なぜ、こんなに悪魔崇拝のモチーフが多いのか。

発祥としては西洋の文化なので、反逆精神がどうしてもアンチクライスト的な表現になるためこうなるのだろうか? と考えた。

音楽にはファッションや文化、時代背景が密接に関わることが多い。
私自身、学生時代にアメリカの一般家庭で1年間のホームステイを経験したし、現地の学校にも通って、さらにその後の海外の人々との交流経験もあっての実体験から思ったことだが、宗教やそれに基づく倫理観、教育などが、日本に比べて他国では色濃く日常に表れている。

私が直接多く経験したのはアメリカなのだが、たとえば「使ってはいけない言葉(curse wordsや4 letter words)」もそうで、学校でそれらの言葉を使ったら放課後居残りなどの罰を与えられるし、販売されている楽曲でそれらの言葉を含む歌詞には、おなじみの「explicit(きわどい、不適切な)」表示や「parental advisory(要、保護者の指導)」マークがつけられている。

場合によっては該当の音声が消音されている「clean」バージョンまであるのをご存知の方も多いだろう。
cleanバージョンは聴く方からすると音が途切れ途切れになるし、表現がカットされるのでつまらなく、私はおすすめしないが、宗教的概念や教育の倫理の都合で「不適切な言葉を聴きたくない」人には良いのだろう。
ちなみに私が購入して持っている曲のほぼ全部にこのマーク、ついてる。

音楽におけるアンチクライストや悪魔崇拝的なスタイルは、こうした文化の反動と言えて、日常抑圧しているものを解放したり、押し付けられた倫理観を破壊したりするための表現となっているだろう。

そもそも、悪魔というのも私としては、「悪魔とはどういう概念なのか」「悪魔や堕天使と指定された存在たちは元来どういう存在か(たとえば歴史上、敗者となった民族や消えていった文化の中の神たちなど)」という側面から語りたくてうずうずするが、ここで語るのはやめておこう。

でも、ひとつだけ言うなら、いわゆる陰謀論的な見方で悪魔崇拝をあまりに浅く取り上げている情報を見ると、私は残念に思う。
特に音楽の中でなぜそういったカラーが強調されるジャンルがあるのか、どんな気分や時代背景でそれが用いられているのか、そこのところを考慮したり興味を持ったりしないと、表現の内容を理解できないよね。

アメリカのヒップホップについても、そこで用いられる表現が陰謀論の情報の槍玉に挙げられているのを見たことがある。
「いや、それはきっと別のこういう意味なんだけど……」と、アーティストの歴史や意図があるということを語りたくなるが、ある情報を盲目的に信じたい人がいたら、そんな背景を知ろうとする関心は薄くなるのだろう。

もっと言えば「二元論やめよう」というところから私は語りたいクチなので、この話題は掘ろうと思えばかなりディープになってしまう。
ああ、いっそ、そんなことをごちゃごちゃ言うよりは、「デスボイス」の疾走感にすべて流してもらうのがいいかもしれない!

これを読んでいるあなたもね、人生、突然何を好きになるか、新しくどんな楽しみを発見するか、どれだけ意外な世界が自分の目の前で広がっていくか、わからないものだよ。

そう知ると、ワクワクしない?

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