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生きて笑っていてくれたらいい

ニートということばが好きじゃない。

子供の年を聞かれて、二人とももう大人なんですよと言うと、大抵の人はシングルで育ててきた私のことを労うように「よかったわねぇ」「社会人なら安心だわね」と言ってくれる。ええまぁそうですね、と返すと「お仕事は何をされてるの?」と続く。「娘は不動産関係の内勤です。息子は飲食のバイトです」と返すと「バイト?そうなんだ……。飲食は大変でしょう?」となんだか気の毒そうな顔をしてくれる。別に気の毒じゃないし心配もしてくれなくてもいいのだが。

息子は高校を卒業後、あるところに就職した。三代続く伝統ある家業の仕事は、その道では結構名の通った老舗だった。そこへ職人として入職した。息子自身が興味を持ち選んだ仕事だった。最初はもちろん見習いだ。温度を保つ火を使う故、真夏でも冷房無しの厳しい環境下でも愚痴一つ言わずに頑張っていた。元々手先の器用な子で、職人気質だとは思っていた。息子の仕事ぶりはなかなか筋がいいと当主に褒めてもらっていた。

ところが、そこには鬼がいた。病みの鬼だった。息子に取り憑き、一日中病みの言葉を投げつけた。それでも息子は我慢していた。家族経営の職場には職人としてこれまで何人もが修行に入ったが、誰ひとりとして続いている者はいなかった。みんな病みの鬼の言葉に耐えきれずに辞めていったらしいのだ。

息子は働き始めて半年ほど経った頃から、家に帰ってきて暗い表情でいることが増えた。その時事情を知らなかった私は何かあるな、とは思っていたけれど、自分の気持ちや状況を言語化することが苦手な息子は、そのことを誰にも上手く伝えることができないでいた。

日毎に様子がおかしくなってきて、よくよく事情を聴いてみると、ようやくその病みの鬼の話をしてくれた。どうしたものかと途方にくれたが、仕事自体は好きだし、鬼以外の当主や息子さんはいい人なのでなんとか我慢すると言った。

息子は少しずつ病んでいった。心身ともにすり減っていった。以前のような明るさもなくなり、口数も極端に減っていった。仕事から帰ってくるとバタンと倒れたきり、動かなくなった。あ、ヤバいかも。そう思った。それからは体調が悪くて休む日が増えた。

しばらくして、職場から電話がかかってきた。「お母様にお話があります」私は覚悟を決めて息子の職場へ出向いた。

鬼がいた。病んでいる鬼がいた。息子から聞いてはいたが、話が全く通じない。家族はその事に当然なから気付いてはいるのだが、誰も逆らえないでいた。当主の言い分としては、息子が鬼に対して言ってはいけない言葉を吐いたので、息子を解雇するとのことだった。もちろん暴言を吐いたこと自体は悪いことなので私は親として謝った。しかし、それまでのいきさつを息子から聴いていたので、そのまま黙って帰るわけにはいかなかった。

何故職人が誰ひとりとして続かないのか。私の話を最後まで聞かずに途中から被せてくる鬼の実態を目の前で見ながら、その横でおとなしくしている当主に面と向かってハッキリと言った。

「こんな状態では誰が入られても同じことの繰り返しになるでしょうね。息子はよく今まで我慢したと思います。これまでお世話になりました」

鬼は悔しそうに唇を噛んで私を睨み付けた。負けじと私は鬼を睨み返した。そして当主に深々と頭を下げてその場を後にした。


息子は半年ほど精神を休ませるため養生した。元々気の優しい子で、誰かと言い争ったり、声を荒げたり暴言を吐くことなどそれまで一度もなかった。なので鬼に対して吐いた言葉は、息子の極限状態で出た防衛本能だったと思う。逆によく言ったと。言葉選びは間違っていたとしても、それが言えなかったら、自分の心が壊れていただろう。いや、もう既に壊れ始めていたのだ。その時点で息子が息子ではなくなっていたのだ。


半年ほどして家の近くで飲食のバイトを始めた。無理はさせたくなかったので、少しずつ慣らしていくようにした。バイトをしつつ、自分の趣味の時間をたっぷりととるようにした。やりたいことがあった息子は、その職人気質を大いに発揮して没頭した。放っておくと寝食を忘れてしまう性質上、バイトは生活のメリハリをつけるためにも必要だと判断した。やりたいこととは別に、生活のためにはお金を稼ぐことは必要だと理解してほしかった。少ない稼ぎの中からも、必ず家に定額のお金を入れさせるようにした。働くことで収入を得ることの大切さは生きていく上で不可欠だ。息子の身体と心のコンディションを注意深く観察しながら、私は親として出来る限りのサポートをしてきた。


息子の趣味はゲーム製作だ。無料のゲームサイトに5年前から自作のゲームを投稿している。ゲームに使う音楽や画像も自作なのでとにかく時間がかかるが、毎日黙々と取り組んでいる。世界中からのアクセスでダウンロード数は10万を越えている。無料だから全く儲けはないのだが、ファンからのサポートはありがたく受け取っているようだ。将来的にそれが仕事に繋がるのかはわからない。息子がやりたいようにやればいいと思っている。


まずは健康であること。そして笑っていること。あとは最低限の暮らしができれば、好きなことをして生きていけたらいいと思う。上をみればキリがないし、今ある幸せを持続できたら十分だ。息子のバイトは今年で7年になる。よく続いたなと思っている。決して、ニートではない。親の私がそう思っているのだから、それでいいのである。


#息子   #生きる   #仕事   #エッセイ




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