「書きたいともしび」について

昨日、私も応募しました。note創作大賞2023のエッセイ部門。
https://note.com/s_nation66/n/nd60c05df44dc

全くそんな気はなかったのですが、タカーシーさんのパートナーさんへのラブレターを何度も読み返すうちに、私の中にある「書きたいともしび」に油が注がれ、一気に燃え上がってしまいました。
未読の方は是非読んでいただきたいと思います。こちらの記事です。


エッセイというのは自分の経験をもとにして描く文章ですが、単なる日記とは違うと思っています。どう違うのか?それはその人の経験から得られた思いや哲学や希望など、「これを伝えたい」があることが重要だと考えます。
何を言いたいのか、何を伝えたいのか。それがなければ単なる徒然日記になってしまう。

もちろん、徒然日記も読み物としては私も大好きだし良いのですが、それを読んだ人の心に何か強く響くものがあると、きっと感動や共感が生まれるのではないかと思います。私はタカーシーさんのラブレターを読んで、とても心を打たれました。それは俗に言う共感というのとも違うし、単なる感動でもない。全く新しい「愛の形」を見せてもらえたような感覚になりました。衝撃とも言えます。

それは私の中にある「愛」とは違う種類のものですが、違うからこそとても美しく輝いて見えたのです。とても羨ましくもあり、手の届かないところにあるもののような。憧れに近い感覚でした。

そんな素敵な「愛」に触れた時、自分の中にある普遍的な大切なものに自然と目が向きました。そうだ、私の中にもずっと燃え続けている「愛」がある、と。

そして突然書きたくなりました。この熱量を今すぐ文章にしたい。形にしたい。そしてそれを読んだ誰かの心の中にある「書きたいともしび」に油を注ぎたい!と。

それは娘への手紙という形で書きました。書きながら、自分の中にある感情と向き合いました。じっくり向き合って書くうちに、もしかしたら同じような経験をしている人がいるかもしれない、あの時の娘と同じように「抱きしめられたい」という思いを残したまま大人になった人がいるかもしれない、と思いました。

そして、そんな思いを持っている人たちに、もう一度その時の感情を思い出して、その時の自分を抱きしめてもらいたいなと思いました。

書きながら、私は自分自身を抱きしめていました。私も抱きしめてもらいたかったのです。具体的に誰にと言うわけではありませんが、過去に思いを残した自分を、「よく頑張ったね、悲しかったね、偉かったね」と労って欲しかったのだと思います。

娘を抱きしめながら、私は私を抱きしめているのです。
今現在の娘と、5歳の頃の娘と、これまで頑張ってきた自分を。
それを、あの文章を書いた後に初めて分かりました。
書くことで自分自身を理解し、慰め、癒していました。

その機会を与えてくれたのは、紛れもない、タカーシーさんのラブレターでした。だからもう一度、お礼を言わせてくださいね。

タカーシーさん、ありがとうございました。

そして、タカーシーさんのラブレターや、私の娘への手紙を読んでくださった方々にも、自分の中にある「書きたいこと」について、思いを馳せていただけたらいいなと思いました。たくさんの方々の、それぞれの「書きたいこと」を知りたいし、読んでみたいなと思いました。

今回私は、自分の中にある「書きたいともしび」に気づくことができました。
誰しもが持っている「書きたいこと」。それは一人一人の中にある、小さなともしびから気づくことなのかもしれませんね。そんな機会を一人でも多くの方に味わっていただけたらいいなと思います。

それではまた。

*アーカイブは下のマガジンから読んでいただけます。


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