見出し画像

新書の愉しみ

先日、いつも興味深く記事を読ませていただいているみ・カミーノさんが、こんな記事を書かれた。

それに応えるように、ご自身の新書を紹介する記事を書かれた方がいた

わ、私もやってみたい!!
最近あまり読まなくなってしまったのだけれど、私は新書を、最新の、あるいは長く積み重ねられてきた研究のエッセンスを、専門家が素人に分かりやすく説いてくれる知識の入口だと思っている。

カミーノさんも記事の中で

新書を開けば世界は広がった。育児だけの日々に「知」の風が吹いた。

と書かれている。

私は興味の赴くままにただ楽しく読んできたのだけれど、今我が家にある新旧の新書をかき集めてみると、読書傾向というか、自分の興味がどこに向かっているのかが割とあからさまで、ほほぅ、となった。

それに、やはり新書を読むと「ちょっとお利口になった」気がする。

私は1冊を取り上げて語ることが、我ながら暑苦しくなりすぎて苦手なのだけれど、本棚の写真から自分の読書を語るのは好きだ。
今までもしばしばそういう記事を書いてきた。

それを新書で出来るなんて、わくわくして長大記事にならないか心配だけれど、久しぶりにやってみたい。

では、現在持っている新書全部の写真。

古い本が多めである


その中で、というか、持っている全部の本の中でも「宝物」の部類に入るこの一冊。

カラー版「ハッブル望遠鏡が見た宇宙」

私にとっての新書の原点、岩波新書から出ているところも高ポイントだ。
初版が1997年と古く、ハッブル望遠鏡が運用されてまだ7年ほどで出版されたものだが、その画像の美しさに魅了された。

画像は、「ヒットナンバー」「太陽系の仲間たち」「星の一生」「宇宙のはじまりを探る」といったカテゴリーに分けられ、天文学の知識に触れられるのはもちろんだ。
2000年に続編も出されている。

今も私は、BSプレミアムの「コズミックフロント」で、ハッブル望遠鏡が30年の間に撮影したとっておきの画像を紹介する回や、すばる望遠鏡やチリのアルマ望遠鏡の画像紹介の回を、最高画質で録画してディスクに落として保存したりしている。


宇宙

当然ハッブルつながりだ。
宇宙物理学などはもう新書レベルでアップアップだけれど、それでも私の宇宙に対する興味は尽きない。

特に「宇宙に外側はあるか」(松原隆彦著)はすごすぎる。
本の表題にもなっている最終章は、素粒子論などを突き詰めると神学や哲学の世界に行きついてしまい、脳みそがぐるぐるかき混ぜられる。

「存在」とは何か。
この宇宙の存在すら、人間の脳が「存在する」と認識しているだけの物であり、本当はどうなのか分からない‥‥
  我思う 故に我あり
のような。
ものを捉えるのに人間が人間の脳で認識する以外の方法がない。他のやり方で「本当の宇宙の姿」を捉える方法がない。
じゃあ「宇宙の本当の姿」って・・・
もう、哲学とか精神、神学の分野にいってしまうよなぁ。

他にももっと深遠なことがたくさん書いてあるが、私には要約のしようもない。上の要約のようなものがあっているかどうかも確信が持てないw

寝る前に布団の中でこの章のどこかを数行読んで、どういうことか考えていると、あっという間に宇宙の深淵、ダークマターに吸い込まれて気を失うこと間違いなしである。


詩歌

漢文、漢詩が好きだ。
日本の詩歌では、万葉集が力強く素朴で好きだ。  
世の中に膨大にあふれる作品から、これはという名作を取り上げ示してくれる、新書の醍醐味。


歴史


漢文・漢詩好きなので、当然古代中国好き。
古代史ならどこの国でも好き。
もっと言うと地球の成り立ちや人類の進化にも興味津々だ。
宇宙が好きなら当然かもしれない。

漢詩や古代中国好きは、「十二国記」好き、宮城谷昌光好きにつながっている。

塩野七生の「ローマ人への20の質問」は、歴史好きもあるがこの人の著作自体がどれも素晴らしい。


ニンゲンへの興味

私自身は、困ったことに周囲の人に興味がない。
それは悩みであったし生きづらさを私にもたらした。

が、ヒトの心理には興味がある。
それ自体はとても面白いのだもの。それが実生活に全くつながらないのが残念なところだ。

そんな私の生きづらさを解明してくれたのが「アスペルガー症候群」(岡田尊司著)だ。
今はアスペルガーという言葉はあまり使わず、自閉症スペクトラムというらしいが詳しくは知らない。

ただ、自分の特性として激しく納得する部分がありすぎて、これを読んで納得したと同時にとても楽になった。
私は結構濃いめのグレーゾーンではなかろうか。
もっと早く、そういう自分の特性を知ることができればよかったのかもしれない。

が、知らなかった頃はそれで一生懸命頑張っていた自分も認めたい。今考えるとダメだったところもいっぱいあるし、知っていればそういう失敗はしなかったかもしれないが、「自閉的な自分」を言い訳にせず(知らないのだから出来っこない)、もがいて得るところもたくさんあったという自分は確かにいる。

小利口に社会に過適応しちゃう(出来てると思っていた)自分もいた。とほほ。

ただ、年齢を重ねて、人と豊かな交流ができる人をうらやましいし尊敬するのだけれど、自分がそうなろうと思うことはやめた。無理である。
開き直って楽に生きる方針で営業中。

これ一冊で全部分かった気になるのは危険だけれど、この件をさらに追及するとアウトなゾーンに足を踏み入れるというか、地獄の蓋が開いてしまう予感なので、この一冊でやめておき分かったことにして今後を楽に以下同文。
割と人生の転機となった一冊だ。

なお、このことは昨年9月の呑み書きで記事にしたのだけれど、「肉体的特性ですから~」(・・・ザンネン!と、ギター侍みたいな)タイトルを付けて、Twitterでも流したら、速攻でエロいアカウントからいくつかフォローされて笑った。


「ミュンヘンの小学生」

写真を撮る手の影が写ってしまった

本場ドイツのシュタイナー教育の現場を、日本人の母親がレポートした内容。大学時代授業のために読んだ本だから、かなり古い。
四半世紀以上続けた私のお商売にも関係する本だけれど、それより読み物としてとても面白くて、何べんも繰り返して読んだ。
ミュンヘンのシュタイナー教育の学校に小学生として入学した、著者のお嬢さんの学校のことを中心に書かれているが、異国の地ドイツの暮らしぶりも思いのほか鮮烈に伝わってきてとてもよい。

続編として、文庫で「ミュンヘンの中学生」がある。本棚のどこかに紛れてしまったし、新書でないので写真はない。
小学校低学年でいったん日本に帰国し、日本教育の洗礼(!)を受け、中学生となったお嬢さんが再び元のシュタイナー学校に編入するのだが、、荒れる思春期のパワーであんなに好きだった小学校からの担任の先生とぶつかっていく。若者には若者の感性や理論がきちんとある。
もちろん中等部のシュタイナー教育の様子も描かれているのだけれど、結構スリリングな内容だ。

この本に取り上げられるシュタイナー学校は、初等部入学から中等部を終えるまでずっとクラス替えも担任の変更もなかったと記憶しているが、小学生からの同じクラスメイト達も同様に担任の先生とぶつかる。

結局、あまりに子供たちと合わな過ぎて、本来9年間変わらないはずの担任の先生が変わるのだけれど、それは先生が悪いのでも子供たちが悪いのでもないし、もちろん親からの変な圧力でそうなったわけでもない、というのが、すごいところだ。

そうなったことに対して、私は全く嫌な感じを受けなかった。
ただ、現状としてそういうこともあるだろうから、教育の場としてベストな形を選び取ったという、学校側や保護者たちの合理的な判断?というか、ヒステリックでない態度のようなものに深く感銘を受けた記憶がある。
もちろん、何回も学校側と保護者とが意見交換をした結果で、その様子なども書かれていたはずだ。

現物が今手元になくて、うろ覚えで書いているので間違っているところもあるかもしれないが、また発掘してどうしても読みたくなってきてしまった。
並んで載せてある「私のミュンヘン日記」は、その時のお嬢さんが大人になって当時を振り返ったものだ。


興味の赴くままに

「裁判官の爆笑お言葉集」…大好物である。厳粛に言い渡される裁判官のお言葉、のはずが、そこだけ取り出してみるとじわっと面白い、そんな言葉を集めた本だ。

ジワる。

オウム裁判など、結構大きな知名度の高い裁判からも取り上げられている。
その言葉だけを取り立てると面白いが、その前後の文言も載せられており、それを読むと、その言葉を発した裁判官の真摯な思いも伝わってくる。
真摯なんだけれど、その言葉だけ取り出して読んでみるとじわっと来る。
筆者の裁判傍聴に関するコラムも載っていて、プチな知識も得られる。

椎名誠の「活字のサーカス」は椎名誠のおススメ書籍が独特の観点で語られている。

「憲法読本」は、上しかないところを見ると挫折した模様。


noteで知った本

NHK出版の「本がひらく」というアカウントの、教養・ノンフィクションマガジンから知った。

コンラート・ローレンツ博士の「ソロモンの指輪」を読んで以来、カラスって賢いなあ、かわいいなあ、できれば仲良くなってみたいなあ、などと甘っちょろい夢を見ているのだけれど、この本はカラスの習性を、(残念ながら)「人に迷惑にならないようにカラスを誘導する」という観点から面白おかしく知ることができる。
最近読んだノンフィクションの中ではとても面白かった。

余談。
気が付くと、カラスの本を読んでいる。
大好きな荻原規子のファンタジーシリーズにも烏が登場する。
今年4月に完結した、「後宮の烏」シリーズ。ラノベ。
「烏に単は似合わない」の八咫烏シリーズ。完結したと思っていたら、短編と新しいシリーズがすでに2冊出ていて、また最近全巻読み直した。

ノンフィクションでなくファンタジーばかり、特にカラスに注目して読んだわけではないのに、好みの本を選んでいた烏だらけになった。



最後に物語

新書といえば知識の入口・・・だと思うのだけれど、なぜか万城目学の物語が新書として出ている。

「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」万城目学 ちくまプリマ―新書。

万城目学といえば「鴨川ホルモー」だ。去年秋のnoteの読書感想文の課題図書にも万城目さんの「ヒトコブラクダ層ぜっと」があったけれど、この「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」がとてもいい。
人間の女の子かのこちゃんと猫のマドレーヌ夫人を中心としたストーリー。ほんわかほのぼの、じんわり楽しく、切な悲しく、明るい。

なんのこっちゃ全く説明になっていないけれど、読めば分かるw


以上が私の本棚の新書部門のご紹介だが、久しぶりに書店の新書コーナーを見て回りたくなった。
御他聞に漏れず、最近は欲しいものをピンポイントでポチっとしてしまうけれど、思わぬ興味を惹かれる分野が、新書にはあふれている。

それは、ずら―――っと並んだ書店の新書コーナーに、実際に行ってみなければ分からない。
新しい世界を広げてくれる新書を探して。

そういう時はやはり大きな本屋さんへGOである。

予想通り長大記事となってしまった。
お読みくださりありがとうございました。









この記事が参加している募集

わたしの本棚

新書が好き

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら嬉しいです😆サポート、本と猫に使えたらいいなぁ、と思っています。もしよければよろしくお願いします❗️