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その眼が狩るものは


グリフィンは見下ろしていた、高い崖の上から。
何千クピドも先の砂漠と城壁に囲まれた街を。


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その瞳は眼下のすべてを鮮やかに捉えどんな些細な動きも見逃さない。
その翼は今にも彼に推進力を与えようと広がり、鷲の前足は獲物を捕らえるために既に大きく開かれ、獅子の後肢もまた、彼に推力を与えんと力をため大きく開かれ指の先は鋭い爪が大地をしっかり捉えている。

次の瞬間、後肢は大地を蹴り翼は大きく一度羽ばたいた。
グリフィンの周りの空気がゆらりと、蜃気楼のように揺らめいたと思うとすでに彼の姿はそこにはなく、先ほど見下ろしていた何千クピドも先の城壁のすぐ外に出現していた。

先ほどからグリフィンが見ていたのは、この城壁のすぐ外、砂の中からもやもやと現れ始めていた、黒い粒のような瘴気だった。

瘴気の粒が濃くなり今にも実体を持ちそうになるその時を狙い、グリフィンはその場に現れ瘴気をその鋭い前肢で捕らえ、そして再び後肢で地を蹴り羽ばたいた。

その場の空気が揺らめき、一瞬で再び元いた崖の上に姿を現したグリフィンは、捕らえた瘴気を喰いちぎり飲み込んだ。
そう、グリフィンの猛禽類の翼は空を切り裂いて飛ぶためでなく距離を瞬時に超えて空間を移動するためのものだ。


先ほどの城壁のすぐ内側、城塞都市の王城から最も遠い下町には、同じような小さな店がごちゃごちゃ並んでいる。
そのうちの一つの店主である男は、最近常にいらいらしていた。

なぜ同じような品揃え、同じような値段なのに隣の店は繁盛している?
おれだって愛想も悪くないはずだ。
ここ最近そんな思いばかりが頭をめぐり、ろくに客の顔も覚えていないありさまだったが、男はそんなことにも気づけないほどに焦りといらだちを募らせていた。

うちの古い油をあいつの店の油の壺に混ぜてやろうか、そうすれば客の評判も落ちるだろう。いっそネズミの死骸でも入れておくか・・・

そんなことまで考えている男は、店に来た客の様子より隣の店の様子をみることに気を取られている。隣の売り物に良くないものを混ぜる機会をうかがうために・・・

隣の店に置かれた油の壺をじっと見ていた男は、近くの地面に水のしずくがぽつんと落ちたのに、ふと気づいた。
こんな時期に雨でもあるまいに・・・・
少し顔を上げると隣の店主の頬を伝った汗がもう一粒、日の光にきらめきながら地面に吸い込まれるのが見えた。

よく見ればその地面は、裸足で歩いても痛くないようにどんな小さな小石も取り除かれている。隣の店主が汗を流しながら、今も店の周りをきれいにしていた。

いらついていた男はぶるぶると頭を振り、それから顔を上げてあたりを見回した。
周囲の雑踏のざわめきや、乾季の晴れ上がった空が久しぶりにはっきりと感じられた。

・・・おれは一体何をしていたんだ、隣の油の壺なんかじっと睨みつけて・・・?
もうちっとましなことでもしたほうがいい、例えば店の床の掃除とかな。

久しぶりに目が覚めたような思いの男は、もう一度頭をぶるっと振ると、ちょうど店に入ってきた客に威勢よく声をかけた。


グリフィンはまた、高い崖から周囲を見下ろしている。
見渡す限り広がる砂漠、ぽつんと小さく見える城塞都市。
だが全く乾ききった景色が続いているわけではない。都市の外、少し離れたところには青々とした水が大きな川となって流れ、その岸辺にはナツメヤシや灌木、そして草花が緑をなしている。
澄んだ宝石のような泉がオアシスを作り、緑なす木陰を作っているのも見える。

だがグリフィンは、川やオアシス、緑豊かな木陰にはあまり興味を示さない。じっと見つめるのはやはり城壁に囲まれた都市だ。

日がとっぷりと暮れたころ、ゆらりと空気を動かし今度グリフィンが現れたのは王城の奥、噴水のある長方形の池が作られ珍しい植物に彩られた中庭だった。

緑と青の宝石のような庭は美しい透かし彫りが施された回廊に囲まれ、その回廊の奥には城で暮らす女たちの部屋がある。

青と白の涼やかなタイルに飾られた池の周りに、今度は赤黒くぬらぬらと蠢く虫とも触手ともわからぬものが生まれようとしていた。
それを狙って現れたグリフィンは、一気にそれを掴み、再び鷲の羽を大きく動かし空間を移動する。

姿を消すその瞬間に獅子の後肢は爪痕を残して土を蹴り、その反動で尾がぴしりと地を払った。


むっと息苦しいほど香の炊かれたた女の部屋の空気がふわりと動き、外の植物の匂いをはらんだ風が吹き込んだ。日が暮れて灯された蝋燭の灯もゆらりと動く。
と同時に、寝台の下に置かれた、きらびやかな女の部屋の調度にはそぐわぬ素焼きの壺が外から飛び込んできた小石に当たり、小さな音を立てて割れた。

女ははっと青ざめ、部屋の入口に駆け寄ったが人の気配はない。それを確かめると今度は醜く顔をゆがめ唇をかみしめた。
せっかく苦労して手に入れた毒を・・・。
再び同じつてで手に入れるのは危険すぎる。だが今度は誰に頼む?

女は何人もいる王の妃の一人だった。
大きな後ろ盾もない。ここのところ王の足も遠のいていた。
毒は二つに分け、最近身籠ったという妃に飲ませ、もう一つをつい先日後宮に入ったばかりの別の若い妃の持ち物に忍ばせるつもりだった。

早く二つに分けておけば・・・そんな埒もない後悔にもう一度唇を噛み、いったい誰が中庭の小石を部屋に投げ込んだのかを確認するために、女はひっそりと中庭に出た。

とっぷりと暮れた中庭の木陰、ひときわ濃い闇の中に影が一つ凝っている。
その影が自分の行動を窺っているのかと女は目を凝らした。
が、どうやらそうではないらしい。
女が罪を着せようとしていた若い妃が、一人たたずんでいる。下を向き、声を殺して泣いているようだ。

新入りの小娘めが・・・

女は心の中でそう吐き捨て踵を返そうとしたがその瞬間、鋭い痛みに胸をつかれる。

あの娘は・・・私と同じではないか。

まざまざと、自分が後宮に入ったばかりの頃を思い出す。
権門の娘でもなく右も左もわからぬ小娘だった自分は、よくああして心細さに一人泣いたものだった。

それでも自分は王に愛されたのではなかったか。

王は決して妃たちの親族に政を左右されるような人間ではなかったし、後ろ盾のある姫を偏って寵愛したりなどはしなかった。

私はそうした王をこそ、愛したのではなかったか。
公正で、人の心をよく見る、王はそのような男だった。

女は、今泣いている若い妃に胸の痛むような同情を感じずにはいられなかった。意図せずそのような思いに心を鷲掴みにされた女は、自分が入宮した頃を、そしてそれより前、まだ何も知らぬ娘としてたくさんの家族に囲まれて暮らしていた頃の自分を思い出していた。

いつも近所や親族のたくさんの女たちと、広い涼しい中庭や絨毯を敷き詰めた家の奥の広間で過ごしたあの頃、そういえば誰かしらは身ごもっていた気がする。みんなでその子が生まれてくるのを心から待ち望み、生まれてくれば皆で可愛がり、分け隔てなく育ててきた。
他愛ない日々のことも悩みも、女たちは何でも分かち合っていた。

自分もいつかはそのような女たちの一員になると信じて疑わなかった娘時代。

だがどうだ、今の自分は。
新しい命の誕生を祝福するどころか、その子や母親への憎しみにとらわれあまつさえ亡き者にしようとしている。その自分の醜さはどうだ。

女はこの世にただ一人、自分だけが取り残されたような心持ちに襲われ、自分の両腕を掴み、激しく周りを見回した。
そして再び、中庭の木陰の闇にうずくまる若い妃に目を留めた。

波のように遅いかかる激しい感情に全身を揺さぶられながら、女は悟った。
自分が、どのように在りたいのかを。

そのように在れぬ何を憎めばよいのかは女には分からなかった。

しかし、女は自分がどのように在りたいのかを今、やっと、まざまざと自覚した。

そしてさらに思う。入宮したての若い妃に身籠った妃の毒殺の濡れ衣を着せたところで、王はそのような安い企みに騙されはしないだろうことを。
王は、賢く、公正で、人の心がよく分かった。

・・・そのような王に愛される自分で在らねばならない。
王宮という狭い籠に囚われ、その運命とともに生きる女たちの一員として在らねばならない。

自分の目指すものを見出した女は、しゃんと背筋を伸ばし、部屋へと踵を返す。

割れた壺と、流出した毒は、きれいさっぱりと片付けねばならない。


賢く公正な王に治められた都市は、繁栄を極めている。
日々多くの者たちが出入りする城壁の門には、街の守護として、翼を広げ後肢で大地を掴むグリフィンの像が、高々と掲げられている。


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この企画に参加しています。

企画してくださった橘鶫さん、ありがとうございます。

本読みとして、主催者である橘鶫さんの紡ぐ物語と、そしてそれに付けられた素晴らしい鳥たちの絵に惚れているのです。





お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら嬉しいです😆サポート、本と猫に使えたらいいなぁ、と思っています。もしよければよろしくお願いします❗️