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ゲルハルト・リヒター展

9月の半ばに行ってみた@東京国立近代美術館。

きっかけはEテレの「日曜美術館」

美術に疎く、特に現代美術の知識が皆無で、抽象画の鑑賞なんて私にはできないし分からないと思っていた。
ミロやカンディンスキーは、なんか可愛いから好きだけれどw

「日美」を途中からたまたま見て、その時取り上げていたのは第2次大戦中のアウシュヴィッツでの出来事をもとに作成された「ビルケナウ」というタイトルの油彩画だった。今回の目玉でもあるらしい。

「ビルケナウ」の作品の一つがプリントされたチケット。


それにも興味をひかれたのだが、別の、まったく違う印象の作品が画面に映った時、本当に「ザ・抽象画」だったけれど、その色彩の美しさや絵の持つ奥行きのようなものに、胸がときめいた。
書いていて恥ずかしいが、ドキドキしたのでなくときめいたのだから仕方がない。

テレビで、この絵の上部の青い色合いにときめいてしまった。風景画のようにも見える。
写真で撮ると、やはり実際の色とは微妙に違ってしまう。作品はほとんど撮影可能。

乙女のような言葉遣いである。

で、最近胸のときめきなんてめったにないし、ときめいたら腰を軽く行動しないと次の機会なんてもう一生ないことがほとんどだということに気づいてしまった(年齢のなせる業)ので、行き当たりばったりに行ってみることにした。

平日一人。高速バスで二時間弱。すぐ行ける。

結構大きな展覧会で、様々な技法、大小多くの作品が展示されていたけれど、私がなんといっても魅了されたのは「アブストラクト・ペインティング」とタイトルされた数々の大作。

展示の時上下左右を間違わないのかなw
これは普通のサイズだったと思う
大きいカンバス

油彩、畳2畳ぐらいありそうな大きいカンバスに色とりどりの絵の具が縦横に塗り広げられている。
映像で見ると、絞り出した絵の具を大きい定規のようなアクリル板で縦横に広げて制作したらしい。

時には波打ったり、時には薄く塗り広げられたり。
そして時々、ナイフなどで大きく傷のようにも見える模様が入っていたりする。

あるいは、写真をコラージュしたのかと思うほどリアルな、人に見えるような模様があって、でも目を近づけると単なる絵の具の模様だったりした。

巨大な、絵の具の盛り上がりもありありと見える絵が額装なしでむき出しのカンバスのまま至近距離で見られる。
それほど混んでおらずに離れて全体をずー―っと見ていることもできた。


これはそれほど大きなサイズではなかった


***


美術館訪問は好きだし、絵を見るのも好きだが、大きな展覧会に行くとき、私はどちらかというと「あの有名な絵がみられる」というスタンスで出かけていた。

いくつかの作品は気に入るし、その前でじっと長い時間作品を見つめてきたりするのだけれど、「あの絵を見た」という「体験」が、絵から受ける感動よりも大きい気がしている。

冒頭で書いたけれど抽象画を目的にしたことがなく、例えば印象派の絵画展だとか、ムンクだとかフェルメールだとか・・・
「うまいなぁ、すごいなぁ」も、もちろんある。
何が描かれているのか、そのテーマと絵を頭の中で結び付けてみたり、こざかしい作業を自分の中でしてきているのだ。

それと、絵の隣の、タイトルや画材や解説の表示。
絵よりもそっちを熱心に見てお利口になった気になっていたり。

けれどリヒターのアブストラクト・ペインティングは、そんなことを全くさせない。
本当に自由に、ずっと絵の中に引き込んでそのままいさせてくれる。

私の気に入った作品群は、全部タイトルが「アブストラクト・ペインティング」。
№いくつ、というナンバリングもない。

美術館の展示方針なのか、財団やリヒター本人の意向なのか、作品に関する解説などは一切なかった。

シンプルな同じタイトルで、バーーーン!と、ただ作品だけを突き付けてくる。


乾いた大地のように見える。美しい湖を感じさせる。古代文明都市のようだ。生命をむんむんはらんでいる。寒い、暖かい、閉じている、開いている・・・

リアルな人間に見える模様は、意図的なのか偶然なのか。
突然大きく走るナイフの傷跡は、なぜ入れられたのか。

・・・・
・・・・

ずっと見ていられる。
会場を一回りして、もう一度それらの前に戻って見ると、また違うことを感じる。

何これ、おもしろい!

抽象画ってこんなに面白いのか。
大好きじゃん、私。

それがリヒターの作品だからなのか、他の作家の別のタイプの作品でも同じように感じるのか。
何せ抽象画の鑑賞経験がなさ過ぎて分からないのだけれど、とにかくリヒターの抽象油彩画には、ものすごい力があった。

他にも「フォト・ペインティング」と呼ばれる、写真を正確に写し取るように描かれた絵やカラープリンターを使った作品など、さまざまな技法の作品が飾られていたけれど、やはり生々しく絵の具が塗りたくられた作品群が圧倒的だった。

フォト・ペインティングの作品
デジタルプリントの作品
これもデジタルプリント
これは色合いがすごくきれいで好き

単なる偶然に任せるだけでなく、急にでっかく筆やナイフが入れられている辺りがまた、リヒターという人がどうしてそこをそうしたのか想像を掻き立てられる。

例えばポロックのアクションペインティングなんかだと、それも本人の意図でやっているのだろうけれど、私はあまり生々しさとかを感じられないのではないだろうか。

今後、抽象画の作品をもっと見て、私が好きになったのは抽象画なのかリヒターなのか、検証していきたいw
リヒター(のアブストラクト・ペインティング)は間違いなく好きだし、抽象画ったっていろんなタイプがありすぎるだろうけれど。

有名なあの絵を見たぜ、という▢に☑を入れるような絵画鑑賞(とも言えないですねそれでは)や美術館訪問でなく、もっと生々しく作品そのものと向き合えるようになりたい、そして分からなさそうだと思い込んでいたタイプの色々な作品ももっと見てみよう。そう思った「ゲルハルト・リヒター展」だった。

こんなに絵そのものに向き合える体験?作品?めったになかった。
・・・寝室の白い壁に、一枚リヒターの絵があるといいなぁなんて思うのだけれど、一枚47億円とかですってよ奥さん。

もちろん!作品そのものと向き合ってきたけれど、行く前の「日美」でそんな下世話な情報がちろんと頭にインプットされていたことを白状する。
そのお値段が干渉態度に影響を全く及ぼさなかったとは言い切れない。

国立近代美術館は作品のほとんどが撮影可能(動画は駄目)なのもよかった。
でも、写真に撮ることが主眼になってしまうとそれは駄目なのよねw
だから本当に好きなやつだけ撮ることに決めて撮ってきた。

あれ?着地点が「絵画鑑賞っていろんな雑念に支配されて難しい」方面になってきた。



同じ日に、同じ美術館で別の衝撃を受けたことを書いた呑み書き記事


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