チョコエッセイ🍫私のためのバレンタインデー
忘れもしない、19歳の冬。
スーパーの片隅の催事コーナーがカラフルに彩られ始める時期に、当時住んでいた街のデパートでもバレンタインイベントが開催されている事を知り、友人と2人でソワソワしながら足を踏み入れた。
今となっては、毎年2月にデパートへチョコレートを買いに行くことが当たり前の行事になっているけれど、地方のド田舎育ちの私の中では、バレンタインのチョコレートはスーパーで買うか、自作するものだった。
小学校中学年以降からは、もう作る一択だった。
そんな私にとって、デパートに並ぶチョコレートは未知だった。
人が多い地域のエスカレーターって、どうして少し遅いのだろう。
ゆっくりと登っていくエスカレーターのせいで、変にドキドキが加速していた。
やっとのことで催事場のある階へ着いて、私たちの目に飛び込んできたのは、見たこともないくらいチョコしか並んでいない空間だった。
バレンタインのイベントなのだから当たり前だけど。
当時チョコレートにそこまで詳しいわけではなかった私は、初めて聞くブランド名たちとスーパーよりも圧倒的な品数に、目を輝かせていた。
と思う。
何事もスーパー基準なのが少し恥ずかしくもあるけれど、なんせ田舎に生まれて18年、買い物といえばスーパーと、そこに付随するショッピングモールがメインなのだ。
スーパーが判断基準になるのは、ある意味当たり前だと思う。
そんな田舎者丸出しの私たちに、店員のお姉様方は丁寧に、つぶさに、並べられた商品の説明をしてくれたのだった。
マニュアルがあるのはわかりつつも、あの小さいチョコレート1粒ずつの説明をこんなにもしっかりとしてくれるなんて……と感心しながら聞いていた。
説明を聞きながら、ふと商品脇に添えられた値段を見て喉がヒュっと鳴った。
"デパートでチョコレートを買うということ"をわからせられた私と友人は、帰り道にスーパーで小さいチョコレートを買って帰宅した。
1,000円出せばお釣りが来るくらいの物を。
部屋で小さなチョコレートを口に入れながら、気がついた事があった。
初めてだったのだ。
物事ついてから、バレンタインデーのチョコレートは父や兄弟にあげるために買い、友チョコを交換するために作る。
主だった送り先はいつも自分ではない誰かだった。もちろん自分でも、買ったものや作ったものを食べてはいたけれど、あくまで味見やついでなのだ。
自分だけのために自分でバレンタインデーのチョコレートを買ったのは、この日が初めてだった。
そもそも、バレンタインデーは誰かにチョコを送るための日であって、自分のために買うという概念がそれまで自分の中に無かったのだけど。
そしてもう一つ。
私はことのほかチョコレートが好きだったのだ。
食べ慣れているお菓子ではあるし、ある程度好きなことは自覚していた。
けれどそれは、ポテトチップスやプリン、ドーナツなんかと同列にいるものだと思っていた。
でも、いざ食べながら思い返すと、バレンタインに友チョコ交換で貰うチョコレートがとても好きだったし、少ないお小遣いの中からスーパーに並ぶ中でも比較的高めのチョコを買って、家族と分けながら少しずつかじっていたこともあった。
他人と比べたことが無かったから気が付かなかっただけで、自分で思うよりも自分はチョコレートが好きでチョコレートをよく食べる子だったようだ。
気がついてしまえばその先はもう沼だった。
バレンタイン催事に並んでいたようなチョコレートは時期を過ぎれば買えなくなってしまった。
けれど、あのキラキラとしたチョコレート売り場に思いを馳せながらスーパーのチョコで欲を満たしつつ、毎年2月にデパートで自分用の少し高いあのチョコレートたちを買うようになっていた。
初めて見た時はその値段。
目に新しく財布に痛いそれに、当時は言葉を失ってしまった。
しかしそれは、素材へのこだわりやブランド価値、輸送コストなど、そういった様々な要素が積み重なった値段であるということを知って
「いや、寧ろこの値段でいいの?」
「もっと払わなくても大丈夫なの?」
なんて思うくらいに、思想が矯正されていた。
そんな生活を、片手では足りないほど積み重ねて、今ではバレンタインチョコレートの予算が5桁にまで膨れ上がっている。
財布は萎んでいくけれど、心はこれ以上ないほど満たされる。
そうして今年も、「ご自宅用ですか?」に満面の笑顔で「はい!」と頷き、私のためのバレンタインチョコレートを手に家に帰るのだ。
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