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モンモンシティ2020

最近の銭湯には刺青をした方がいるのでしょうか。幼少の頃、私は銭湯に行くたびにそれを見るのが楽しくてなりませんでした。

きっと時代がゆるかったのでしょう、昭和40年代の葛飾柴又の銭湯には男湯にも女湯にも見事な彫り物を背負った人が大勢いました。職人の街だったので、そういうスジの方でなくても彫り物好きの方が大勢いたのです。

どれぐらいすごいかというと、皆さん、それはもう競うように彫っていました。肌にあいているところがあれば、そのすきまがもったいないとばかりに親のカタキのように彫っていました。
あれだけ彫っていると服を着たままお風呂に入っているように見えたので、あれなら昼間道を歩いていても猥褻物陳列罪にはならなかったのではないかと思うほど。そのくらい皆さん手首までくまなく彫っていらっしゃったのです。

おそらく梶芽衣子のファンなんでしょう、緋牡丹お竜そっくりのデザインを背負った若い女性も見かけました。そういえば顔も似ていました。もっとも、本物の梶芽衣子の緋牡丹はペイントだったのですが、そういうことはエモーションの問題なのでおそらくどうでもよかったのだと思います。

でもやはり特に壮観だったのはなんといっても男湯でした。
かれらには生活パターンがあるのでしょうか、少し早めの時間に銭湯に行くと、男湯は美術館のような様相を呈していました。外国の方のタトゥーではありません、正真正銘の和彫りです。
ねぶた祭りのような背中の方がたが壁に向かってゾロリと並び、粛々とあの黄色いケロリンと書かれた洗面器を使っている様子は子供から見ても圧巻でした。
(そういえばケロリンってなんのクスリだったんでしょうね)

もちろん、中には痛かったのでしょう、中途ハンパなところでやめてしまった感じの人も見かけました。途中で刺青をやめた人の背中ほど物悲しいものはありません。これは小説の師匠に聞いた話ですが、唐獅子牡丹のデッサンだけを入れたところで警察に捕まってしまい、刑務所の中で「キャベツ」とあだ名されてしまったかわいそうな方もいたそうです。
だから、それらの苦難を乗り越えて彫りきった方々の背中には、子供の私にもわかる一種の矜持のようなものが感じられました。

いつだったか若い頃、任侠の方にインタビューする機会があったのですが、ふと刺青を入れるときの大変さを訊ねたところ、途端に目をカッと見開き口角泡飛ばす勢いになり、

「あんたもうね大変だったのよ、あんな痛いもの、一度になんか入れらんないからちょっとずつ入れてって、それでもお風呂に入るたびにギャーって飛び上がる生活を何ヶ月も続けんのよ。あんたできる?」
「できません」

その手がブルブル震えておられたのできっとそうとう痛かったんだと思います。

当時はまだ谷崎潤一郎の『刺青』も読んだことがなく、和彫りの過程の大変さなど知らなかった私ですが、その彼のただならぬテンションと、見せてもらった完成品の深いなんともいえないグリーンを基調とした、さながら「業」という字を絵に描いて額に入れたような背中からは「ねえ褒めてよ、お願いだから、これ本当に彫るの大変だったの、これが僕の勇気の証」という声が聞こえたのです。

きっとそのせいでしょう、私は大人になってからも刺青の人、特に和彫りを背負った方を見ると無条件にハハーッと平伏するようになってしまいました。

良家の親御さんは子供の感性を豊かにするために美術館などに連れて行くといいますが、私の場合、そのての情操教育は主に銭湯でなされたので、その結果、その教育は私の小説や脚本を見てもわかる通り、その後の人生に大きな影響を及ぼすことになりました。

だから私は温泉やプールなどでよく見かける「刺青の方お断り」の貼り紙を見ると今でも胸が痛むのです。もしあの取り決めが暴力団関係の方に揉め事を起こされることを防ぐためだとしたら、それほど時代遅れで的外れなことはないと私は思います。
なぜなら過去私の周りで公共の場で揉め事を起こし酒場を出禁になっていた人の背中には、ただのひとりも刺青なんか入っていなかったからです。
しかも背中に彫り物がありかつそういうスジの人の礼儀正しさは、幼少の頃銭湯でさんざん彼らをいじめた私たち姉妹が実証済みです。 https://note.mu/saekirouge/n/n1fa45d7c0b71

あの人たちは信号無視をしてもパクられてしまうので、それはもう一般の方がたにはとても気を使うのです。

先日も私は新宿歌舞伎町のホストクラブ「愛本店」のイベントに連れて行ってもらったのですが、飲みすぎてトイレでぶっ倒れてしまい、口から泡を吹いている女性を介抱していたのは、その女性とはなんの関係もない通りすがりの、ドレスの大きくあいた背中に「南無阿弥陀」という文字が書かれた見事な和彫りの女性でした。

...と、まあここまでつらつらと書いてしまいましたが、これが私の幼少よりつちかわれた刺青観です。一般的な意見でないことは百も承知の助ですが、それでも、東京オリンピックを再来年に控えた今、なんとかならないかなーと願いつつここで非力に呟き筆を置きます。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #下町 #銭湯 #刺青

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