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ネコは沈黙せず

🎵また猫を拾ってしまったの
二度と猫なんか拾わないと決めていたのに
どうしてすぐこうなってしまうの
こんな私 もうどうしようもないわ

たった今即興で作ったマレーネ・ディートリッヒの『また恋をしてしまったの』の替え歌ですが、要するになにが言いたいかというと、また猫を拾ってしまったのです。

ことの起こりは今年の正月、90歳になる柴又の叔父の家に年始に親戚一同で集まったときのことでした。

叔父は若くして両親を亡くし、年の離れた妹である私の母や下の叔父を男手ひとつで育てた人です。
生粋の江戸っ子で、ヒとシの発音の区別がつかず、東京大空襲の際は隅田川に浮かぶ大量の焼死体を見たために、なにがあるたびに「俺ァアメリカは嫌ェだな」というのが口癖です。

東大に入れる学力を持っていたのに弟妹のために進学を諦め、でもきっと本当は東大に行きたかったのでしょう、定年まで国鉄職員を勤め上げた晩年、骨折して入院を余儀なくされたときに迷わず選んだのは東大病院でした。

そんな叔父の困った癖は、犬猫だろうがホームレスだろうが気にいると次々と家に上げてしまうことでした。
叔父は若い頃から博愛主義の権化のような人物で、姪である私にも優しいのですが、アリンコにも同じくらい優しいのです。人間歳をとるともともと持っていた性格に拍車がかかるといいますが、ここ数年などは飼い犬と私の名前を間違えたりして私を複雑な気分にさせていました。

そんな叔父の趣味のひとつは近所の野良猫に餌をやることでした。私が行ったときにも縁側にはもちろん野良猫のための餌やり場があり、叔父の娘である私の従姉妹がいくらご近所迷惑だからと止めても聞かないということでした。

その従姉妹が窓のほうを向き、ふと私に言いました。

「ねえ、ちょっと窓の外見てごらん」

見ると、窓の外に1匹の黒い仔猫がいて、マッチ売りの少女よろしくじっとこちらを見ています。
まん丸い目が印象的な、『魔女の宅急便』のジジそっくりの猫でした。

「あの子ね、去年の春ごろにこの家の軒先で生まれたの。最初はお父さん猫やお母さん猫と一緒に餌を食べに来てたんだけど、両方ともいつのまにか来なくなっちゃって、今はあの子だけがいつも縁側でああしてジーっとしてるのよ」

聞けばほかの兄弟猫は衰弱して軒先で死んでしまったそうで、生き延びたその子もまた野良らしく、餌を食べには来るけれど近づくとすぐ逃げてしまい、決して捕まえることはもちろん、触らせてもくれないということでした。

不憫に思った従姉妹が軒先に段ボール箱を用意したところ、仔猫はすぐにその中に入るようになり、以来、来る日も来る日もずっとその中からこちらを眺めているというのです。

叔父の家にはすでに2匹の先住猫がいます。
1匹は飼い主が精神を病んで飛び降り自殺未遂をしてしまったために放棄されたという不幸の見本のようなペルシャの老猫で、一年以上も路上を彷徨った末に叔父の家にたどりつき、保護された時には長毛がドロドロに固まり、巻き爪が一周して肉に食い込んでいたそうです。

もう1匹は虐待動画がネットに上がっていた茶虎のオス猫で、こちらは顔や手足をガムテープでグルグル巻きにされてトイレの中で飼われていたのを、あまりのひどさに見かねた私の姪がIPアドレスから飼い主を特定し、相手を刺激するといけないというのであの手この手で友人となり、

「可愛い猫ちゃんなのでゆずっていただけませんか」

と偽名を使って申し出て、カツラをかぶって変装までして救出してきたという、映画『シンドラーのリスト』も真っ青の凄まじい経緯です。

(こういうことを火事場のバカ力でついやってしまうのが葛飾柴又クオリティといいますか、うちの家系の人間の特徴なのかも知れません)

そんな状況下のうえに叔父は妻である叔母に先立たれて現在はひとりぐらし、おまけについ先日、脳梗塞の発作が起きたばかりです。
当然のことですが、これ以上猫を飼う余裕なんてありません。

以上の事情を斟酌することは、私にとっては将棋でいえば積み、オセロでいうと四つ角をすべてとられた状態を意味しました。

仕方がない。

気づけば私はサッシの窓を開け、縁側に出ていました。
そしてすでに縁側から飛び降り、逃げる態勢のままこちらを振り返っているその仔猫に言ったのです。

「あんた、私に株を張る気ある? もしこっち来て膝に乗ったらうちの子にしてあげるよ」

ご縁があるかどうかをはかる、私個人のやり方です。とても不思議な話ですが、言っている言葉はわからなくても、なにを言われているかはわかるらしく、これをやると本当に膝に乗ってくる猫がいるのです。
実際、現在うちにいる三毛猫のばななも、友人の劇作家のところで天寿をまっとうした茶虎猫のいとうくんも、私がこの言葉を口にした途端、ええあなたに株を張らせていただきます、とばかりに膝に乗ってきて保護された猫たちでした。

ですが、この叔父の家の縁側で出会った黒猫は目をまん丸にさせたまま、じっとこちらを凝視するばかりで来る気配がありません。そしてまもなく踵を返すと、そのままどこかへ行ってしまいました。

そうかご縁がなかったか、と私は正直半分ほっとしながら窓を閉めたのですが、それから数分後、再び外からニャーという鳴き声が聞こえてきました。

「あ、お母さん猫が来てる」

見ると、さっきの仔猫がその母親らしい黒猫と一緒に縁側に来ています。母猫が姿を見せるのは二ヶ月ぶりだと従姉妹が驚いていました。

お母さん猫が一緒なら無理して保護しても可哀想じゃないの、と私は言いました。そして、もし捕まえられたらせめて避妊手術くらいはしたほうがいいよ、保健所に行けば捕獲器を貸してくれるから、と言ってその日は家に帰りました。

従姉妹から電話があったのは翌日の晩のことでした。

「あの仔猫が家の中に入ってきてる」
「へ?」
「信じられない、こんなこと初めてよ、あの子、今じいちゃん(叔父のこと)のベッドでメルと一緒に寝てるのよ」

メルというのは先にあげた叔父のペルシャの老猫です。猫なりに恩義を感じているらしく、叔父が脳梗塞で倒れたときも一週間かたときもそばを離れなかったそうです。

私はすぐに支度をし、叔父の家まで車を飛ばしました。ああだから迂闊に約束なんて口にするもんじゃないんだ、と湯婆婆みたいなことをつぶやきながらようやく柴又の叔父の家に着くと、黒い仔猫はベッドの下にもぐり込み、暗闇でジッと目を光らせていました。

それから私と従姉妹で小一時間、大捕物が繰り広げられました。猫はふすまを蹴破り仏壇をひっくり返し、強すぎる相手には奇襲戦法、というアントニオ猪木の教えを一体どこで習ったのか、追い詰められると私のアキレス腱にガブリと噛みつき、私を絶叫させた末にとうとう御用となったのです。

私は猫の両前脚をムズと掴んで仰向けにさせ、ヒタと目を合わせて言いました。もう大丈夫だ、よくやった、寒波が来る前までよく頑張ってたったひとりで生き抜いた、お前はもう保護されている、お前の勝ちだ、休んでよろしい。
そう言い聞かせているうちに、やがて猫の身に異変が起こりました。

その瞳がうるうると、まるで人間が泣くときみたいに次第に潤み始めたのです。

こういう現象はおそらく専門家が見れば命の危険の恐怖でそうなったのだ、くらいに言うのでしょう。ただその時の猫の状況は、恐怖に怯えているというよりも、やっと終わった、と観念したような安心したような表情でした。

しかも家に帰ってケージに入れ、猫ベッドに入れて温めた状態の彼女にもう一度同じことを説いたところ、今度は間違いなく、片方の目からポロリと涙がこぼれ落ちたのです。

黒い仔猫は見ているうちにすうっと目が細くなり、やがてゆっくり目を閉じると、そのまま私の目の前でウトウトと眠ってしまいました。

その寝顔を茫然と眺めながら私はつくづく思いました。

猫はやばい。
いじめると七代先まで祟る、というのはきっと本当のことなのだ、と。

母猫はあれ以来、一度も姿を現さないそうです。

#コラム #佐伯紅緒 #エッセイ #下町 #保護猫 #柴又 #黒猫

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