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お腹が大きくない妊婦たちに抱擁を(妊娠7週/つわり)

人生で体験する色々なことは、ドラマや映画や本などであらかじめ見たことがあるような現象も多く、大体の場合は「その時」が訪れるまでは知った気でいるものだ。今わたしはまさにその真っ只中にいる。「つわり」だ。

いつか子供が欲しいと思っていたわたしなので、つわりに対する知識もいくらかはあった。なんでも吐いてしまう「吐きづわり」。食べないと気持ちが悪い「食べづわり」。眠りつづけてしまう「眠りづわり」。あとは匂いによって気持ち悪くなるとかも聞く。夫の匂いがキツイ、とか。

え〜、つわりって大変そう。かわいそうに。なんて思っていたけれど、これが実際に体験すると想像の60倍は辛いんである。

そもそも、冷静に考えると、毎日気持ち悪いなんてどうかしている。
胃腸炎で1週間、思うように食事ができないだけでもげっそりと痩けて、憂鬱な気持ちが続くというのに、これが毎日。もっと言えば、二日酔いが24時間毎日。または船酔いが24時間毎日。で、どれくらい続くかって、「妊娠15週ほどまで続くことが多い」と書かれており、妊娠発覚直後から気持ち悪かったわたしは既に3週間耐えてきたわけだが、現時点であと8週間以上もある(はぁ?)。そのうえ「人によっては、出産直前までつわりがあることも」とさらりと書かれている(はぁ?)。

何を食べたいか、全く思い浮かばない。食べてみたい気がするが、食べると気持ちが悪い。夕方から夜にかけてぐんぐん気持ちが悪くなり、トイレへ駆け込んでは迫り上がる「おうぇっ」に耐えて涙ばかり流している(吐けば気分が良くなる酒の気持ち悪さとは違うのだ…)。寒くなってきた10月だというのに、食べられそうな冷やし中華だとか冷麺だとかを頬張っては身体を冷やしているし、頑張ってつくった野菜炒めを食べただけで吐き気を催して数時間動けなくなったりもする。

おかしい。ほんとうにおかしいと思う。
これだけ医療が発達したこのご時世に、薬を飲むことも許されず(妊婦は薬が飲めない)、対処法もなく(耐えるしかない)、ただただやり過ごすしかないなんて。

「辛いです」。一度、検診の際にそう伝えてみたが「水は飲めてますか?」と聞かれた。頷けば、先生はこう言う。

「じゃ、大丈夫ですよ。水も飲めなくなったらまた言ってくださいね」

えっ。そんな。水が飲めなくなる極限状態までは「普通」の世界。妊婦って、ちょっと……タフすぎないか。

「赤ちゃんが育っている証拠だから…」とか「赤ちゃんのためにがんばる!」と言えるんだと思っていたが、言えない。なんせまだ赤ちゃんはブルーベリーくらいの大きさらしいのだ。腹も大きくなければ、エコーでもただの勾玉のように見える。心拍が見えますよぉ、と言われるその心臓らしきものもピロピロピロピロとなにかが痙攣しているようにしか見えない(流産の危険性も高い今は、感慨深くなるのを避けている節もある)。

胸は服が触れるだけで痛いくらいに張って、そしてものすごく身体が疲れやすくなった。くしゃみをするだけで下腹がツッたように痛いこともある。たった数週間前はそんなこと何もなかったのに、お酒も飲んで、好きなラーメンを食べ、夜更かしもしていたのに。

実感がない。気持ちの変化もない。見た目の変化もない。でも、身体のすべてが急速に変わっていることだけは確かである。おそろしい。

想像する”妊婦”はいつでもおなかが大きくて苦しそうであった。
でも、あたりまえだけれど、おなかの大きくない妊婦がいる。

身内以外に妊娠を公表するのは”安定期”に入ってから、という人が多い(妊娠5ヶ月・妊娠16週以降)。でもその頃には体調も落ち着いており、本当に体調不良が続くのは妊娠初期(と後期。もちろん人による)だったりする。

マタニティマークをつけることにもソワソワし、会社の人にも言えないこの時期に、まだ誰にも言えない? なんだ、この矛盾だらけの仕組みは。

「じゃあ、安定期よりも前に、妊娠しました!って言えばいいのでは?」と妊娠前はわたしも思っていた。

けれど実際には、いろいろと躊躇する。

まず第一に、「妊娠しました。つわりが辛いです」と言うことで支えて欲しい気持ちと、あんまり気を使わないで欲しい気持ちが半分ずつ存在すること。わがままかもしれないが、できる限り働きたいのだ。日によって、いや時間によって気持ち悪さの程度も違うから「つわり酷いなら休んでていいよ。プロジェクトから外すね」と言われてしまうのは、わがままだけど悲しい(できる限り働きたいけど、しんどい時は相談したい……のが本音)。

それから、思ったよりも流産が怖い。
妊娠初期は、流産のリスクがかなり高い。妊娠検査薬が反応しても、赤ちゃんが入っている袋「胎嚢」が確認できなかったり、心拍が確認できなかったり、心拍は確認できた後に成長が止まったり。とにかく確率が高い。そのほとんどが母体には悪いところはなく、大体が胎児側の染色体の問題らしい。実際に母は二度流産したと何度もわたしに話して聞かせ、周囲にも流産してしまった友人は多くいる。「流産は誰にでもあることだから、世の中が支えたらいいんだ」。妊娠前はそう思っていたし、流産した友人が「私が悪かったのではないか」と自分を責めていたときも「そんなこと思わなくてもいいのに」と思っていたが、今となってはなんというか、素直に流産がものすごく怖い。

赤ちゃんがいる幸せな実感はないくせに、赤ちゃんの命を預かっているのは自分なのだという責任は不思議なほど、ずっしりとのし掛かる。

母へ報告したときのあの嬉しそうな顔。父のゆるんだ笑み。夫の顔。
その視線が一心に注がれているのは、紛れもなくわたしの腹なのである。

酒を飲むと赤ちゃんに影響があるとか、感染症にかかると赤ちゃんに影響があるとか、おそろしいことばかりが目に入るし、食べてはいけないものリストも結構ズラッとある(酒やタバコはもちろんのこと、生魚、生肉、すなわち鮨もダメだし、ユッケとかもダメだし、生ハムもダメ、スモークサーモンもナチュラルチーズも、生卵もダメ……)。

重いものを持つな、自転車には乗るな(集中力も低下している)、免疫力は低下しているから感染症に気をつけろ……。
突如ふりかかる新しい生活様式に戸惑いながら「ま、大丈夫でしょ。神経質は厳禁!」などと思っていたが、実際にその後、外出先で貧血になったし(後日書きます)、夫と一緒に食べた焼き鳥屋で自分だけ食中毒にもなった。

もし流産したら。
その不安と恐ろしさは、やっぱりお腹に赤ちゃんを抱えている本人にしかわからない。(本当は、そんな風にひとりで抱えこまずに、誰もが早めに公表してみんなが支えられる社会になったらいいなと思っているんだよ。今でも。でもやっぱり自分がそうはできなかったから、簡単ではないなって)


人にはまだ言えないくせに、身体を一番大事にしなければならず、人を頼れないくせに、つわりは一番辛い時期。おなかの大きくない妊婦は、本当にえらい(わたしも)。立ち仕事をしている人や体力仕事をしている人、休めない人はどうやって仕事をしているのだろうと、どこかで頑張っている妊婦たちにエールばかりを送っている。

「世の中の妊婦は、頑張っていてえらいよね」。

これが口癖になった。

街を歩くと、子を連れているすべての母が輝いて見える。あの人も、あの人も、つわりを乗り越えたのだ。突然わかった妊娠に、喜んだり不安になったりして、仕事を続けたり辞めたりして、なんとか腹が大きくなるまで育て、産み、そのくせ「あたし!!!がんばったんですよ!!!!!!」と四六時中言いふらすこともなく、顔にタトゥーで「つわり乗り越えました」と彫ってアピールすることもなく、今この目の前を何食わぬ顔をして歩いているのだ。と思うと、涙が出そうになる。

「みんな、すごいよ」

先日、母にも言った。
すると母は、「さえりちゃんも頑張っていてえらいね」と言う。

そうだろうか。
いや、そんなことはない。

「頑張っているんじゃなくて、なすすべなく、ただただやり過ごしているだけだよ」

言ってからハッとした。そうだよね、多くの妊婦がなすすべなく、ただやり過ごしてきたんだよね。食べて泣き、トイレで泣き、顔をしかめ、身内以外誰にも話せず、何食わぬ顔をして過ごしてきたんだよね。

そう思うとなおさらに世の中の経産婦を尊敬し、街ですれ違うたびに「有難や」と思うようになった。

ほんとうに、ほんとうに、心の底から、世界中のひそやかな妊婦たちに抱擁を贈りたい。

わたしのつわりは、いつまでだろう。これ以上辛くなるだろうか、早く終わるだろうか。とにかくやり過ごす。それだけで二百億点ポイント(なんの?)が付与されると信じて、今日もトイレに顔を突っ込むのだった。

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妊娠7週のメモを元に公開しています(現在は、妊娠6ヶ月です)。また、あくまでも個人の体験の範囲内のエッセイとなります。人によっては全くつわりがない人もいれば、入院するほど辛い人もいるし、程度も期間も様々。また、つわり時期の仕事との向き合い方も人それぞれだと思います。ひとつの症例として読んでいただけると嬉しいです。ちなみに、わたしの場合はその後、さらに気持ち悪さは増したものの、妊娠13週ごろからゆるやかにつわりが収まりはじめ、15週を過ぎたあたりからスーッと楽になりました。お腹の大きくない妊婦よ、耐えよう。遠くから抱擁を贈ります。

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